映画評「止められるか、俺たちを」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年日本映画 監督・白石和彌
ネタバレあり

俄然注目される監督になった白石和彌が、一時師事した若松孝二の若き日を取り上げた青春ドラマである。若松プロを設立した若松監督本人ではなく、彼の周りに集う若者たち特に若い女性・吉積めぐみ(門脇麦)の駆け抜けていった青春像を描く。

1969年。フーテン娘めぐみ(門脇麦)は反体制的なピンク映画を作る若松プロの助監督・秋山道男(タマト清嵐)に知り合い、若松プロの門を叩く。男でもまともに務まらない苛酷なピンク映画の世界をしっかり生き抜き、やがて助監督になるが、作りたいものを見出せない悩みを抱える。
 1970年に三島由紀夫が壮絶な死に方をした後、1971年若松(井浦新)は相棒とも言って良い監督・足立正生(山本浩司)と共にパレスチナに渡り、重信房子等日本赤軍の連中と会うなど、政治的指向を高めていくが、めぐみは仲間の子供を宿し、睡眠薬を飲んで死ぬ。

彼女の悲劇的な死は自殺か事故死か定かでないものの、直前に母親に電話をしているから自殺であろう。ヒロインが死んだ第一の理由は子供の始末に困ったことであろう。しかし、先日起きた京都アニメーション放火事件で未来に希望を持っていた有望な34人が死ぬ理由もなく亡くなったことを考えると、彼女は自らの命を粗末にした。その意味でも彼女の死を非常に悲しくやるせなく思う。

チンピラ上がりの若松孝二監督は共産主義のシンパであるが、自らは共産主義者ではない(“インターナショナル”は歌わない)。学生運動をする学生たちに支持されたが、彼らに必要以上の興味を持っていたわけでもないと言われる。そうした歪なシンパシー関係が混沌とした時代を表徴する。

1969年から71年というのは文化的に激動期であったと思う。
 反体制的音楽と言われることの多いロックはその精神のピークに達すると共に崩壊していく。1969年にウッドストックが開催、70年ビートルズが解散、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンが死に、71年にジム・モリソンが死んだ。蝋燭の消える寸前の明るさのように彼らはもの凄い光を放った。彼らの退場と共にロック音楽は商業と化していく(パンク・ロックなどはあるが)。
 アメリカン・ニュー・シネマの馬力はヘイズ・コード撤廃、スター・システムの崩壊など映画界の劇的な変動そのものが生み出した。
 学生運動もこの辺りで空洞化、過激派を生み、事実上滅んでいった。

柄にもなく、この映画を観ながらそんなことを考える。僕は小学生から中学生に過ぎなかったので、ニュース映像等で記憶はあるものの、団塊の世代のように、子供でもない大人でもない人間として、その時代の空気を生々しく知っているわけではない。
 しかし、本作を観ると、ヒロインが最後に亡くなるように、滅ぶことがこの時代の活気を演出していたのだ、という気がしてくる。1970年前後に作られた一連のアナーキーな日活青春映画が発揮していた時代ムードの背景を感じさせる。1956年に“もはや戦後ではない”と言われたが、本当に日本の戦後が終ったのはこの頃ではないか、というおぼろげな考えが浮かぶ。

というのが、僕の、1970年前後を巡る雑駁な感想である。大した根拠はない。とにかく、この時代に確かにあったであろうアナログ的なノイズが本作からは聞こえて来るのである。なかなか面白かった。

登場人物でもある荒井晴彦は半世紀前の自分が出て来るこの作品を酷評したそうである。本当にそう思ったのかもしれないが、照れもあるのではないだろうか。その他に、大島渚、大和屋竺、赤塚不二夫、松田政男(映画評論家)などの著名人が出て来る。

この頃中学一年くらいで、“共産主義は庶民の心理と齟齬しているから結局は失敗に終わる”なんて生意気なことを言っていた。その十数年後中国は市場経済に転換し、二十年後ソ連は解体した。中学時代の僕の考えは満更外れてもいなかったと思う。

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