映画評「アバウト・レイ 16歳の決断」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2015年アメリカ映画 監督ギャビー・デラル
ネタバレあり

正月新年の挨拶に来た義兄から“LGBTの映画が増えているんじゃないか?”と訊かれたので、“洋画では(同性愛に関する映画は)1970年代から80年代にかけて一番作られたと思う”と答えて“但し”と言おうとしたところで中座せざるを得なくなった。“但し”の後は、トランスジェンダーの映画は最近多い、ということだった。
 “トランスジェンダー”の定義自体がはっきりしないが、性同一性障害者とほぼ同義語ではないかと思う。見た目は同じ同性愛でも、女性が女性として女性が愛する場合紛うことなき同性愛であり、性同一性障害の女性が女性を愛する場合彼らは異性愛と考えるであろうという持論があるのだが、本作の登場人物たちは正にそれを裏打ちしてくれる。

16歳になる少女ラモーナ(エル・ファニング)は4歳の時から自分は男だと思い、最近はレイと名乗り、遂に肉体的な治療にとりかかろうとするが、本格的なものは両親の承認が必要である。同居している母親マギー(ナオミ・ワッツ)は賛成の様子を示すも、女性と同居しているレズビアンの祖母(スーザン・サランドン)は全く歓迎しない。
 それ以上にここで問題になるのはマギーがレイの父親クレイグ(テイト・ドノヴァン)と別れて久しく、なかなか連絡が取れないことである。マギーにしてみれば、それを理由に承認を延期しているのかもしれない。
 マギーが重い腰を上げて探し出したクレイグに会っても案の定で結果を迎えると、今度はレイが勝手に会いに行き、このことからお話は妙な具合になる。クレイグがただ反対しているだけでなく、実際の父親が彼の弟マシュー(サム・トラメル)であることがレイに知られてしまうのである。
 しかし、彼らがレイの本気度を眼前に見たことからムードが変わり、法律上の父親クレイグが遂に承認する。

最後は昔の探偵小説のような大団円を迎えるわけで、自由を標榜しているかのようでいてまるで自由でなかった一族が全員一堂に会する幕切れを見ると、本作は性同一性障害の問題より、性同一性障害の問題を巡って家族が葛藤を乗り越えて一体となっていく様子を描いたホームドラマ、と言える気がする。
 しかし、お話のトリガーを今日でも未だセンセーショナルと言える問題にしながら、結論もしくは主題が普遍的すぎるため腰砕けになった感も否めない。寧ろ曖昧さを残した方が良かった。

車の中で丸めた書類が転がったり、車の窓に当たる光の有無で例の顔が見えたり見えなくなったりするショットの感覚など繊細さを感じるところもあるだけに勿体ない気がする。

どちらがタイトルでどちらがサブタイトルなのか解らないような邦題。原題はシンプルに“3世代”。シリーズもの以外のサブタイトルは歓迎しない。

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