映画評「さらば愛しき女よ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1975年アメリカ映画 監督ディック・リチャーズ
ネタバレあり

レイモンド・チャンドラーによる同名のフィリップ・マーロウものの映画化。恐らく三回目の鑑賞。

十年くらい前に村上春樹が「さよなら、愛しい女」という邦題にした新訳を読んだことがある。個人的にはクラシックなこの映画の邦題のほうが好きだ。

1941年のロサンゼルス。私立探偵フィリップ・マーロウ(ロバート・ミッチャム)が、7年ぶりに出所したマロイ(ジャック・オハロラン)という大男に6年間音信不通の昔の情婦ヴェルマを探すよう頼まれる。彼女が踊っていた店のかつてのオーナーから辿った線は嘘と判明して一からやり直し。同時に翡翠のネックレスを取り戻す件も頼まれるが、頼んだ男は殺され、そこから富豪のクレイル夫人(シャーロット・ランプリング)と知り合うことになる。

ハードボイルドもの(小説、映画)は単純なお話を少なからぬ人物を通して見せるのが相場だから、単純なのにややこしいお話だけ追っても退屈することが多い。まわりくどくてお話が分からなくなることも少なくない。
 しかし、やや極端な言い方をすれば、ハードボイルド映画において、筋道が通っていさえすればお話はどうでも良いのである。大事なのはムード。その点この作品は秀作と名高いハンフリー・ボガート主演の「三つ数えろ」(「大いなる眠り」の映画化)に優るくらい。
 マーロウものは、文体こそハードボイルドで乾いているが、内容は非常に情緒的という特徴があるからムード醸成はしやすく、本作ではロバート・ミッチャムのちょっと眠そうな風貌が生み出し、デーヴィッド・シャイアの背景音楽が漂わせるグルーミーなムードにぐっと陶酔させられる。

ムードに関連するところで、ヤンキーズのジョー・ディマジオが連続試合安打記録を更新するかどうかというニュースにより1941年の時代色を上手く醸成しているのが秀逸。同時に、ラスト・シーンでは新聞に“Tokyo”の文字が見え、何気なく暗雲漂う時代を映し出す。

演出面では、ちょっとしたご贔屓監督であるディック・リチャーズは見せ方が簡潔で堅実である。ムードが重要と言っても、過剰であればもたれてしまうわけで、その点彼は誠にゴキゲンが匙加減で料理してくれた。

ナレーション過多などと批判している御仁を発見したが、ナレーション(厳密にはモノローグ。三人称とされるべきナレーションとは大分違う)もハードボイルドものにおいてはムード醸成の重大要素であるから、一般ファンに過多と思われるくらいで丁度良い。

シャーロット・ランプリングについて語る時もっと若い時の「さらば美しき人」という作品を挙げると、有名なこちらの作品の言い間違いと勘違いされそうなので嫌です。

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