映画評「ナチュラルウーマン」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年チリ=ドイツ=スペイン=アメリカ合作映画 監督セバスチャン・レリオ
ネタバレあり

音楽ファンなら、この題名を見れば、昨年亡くなった大歌手アレサ・フランクリンを思い出すはず。キャロル・キングが作って彼女が歌った名曲である。果たしてこの曲が劇中で効果的に使われ、配給会社も原題をいじってこの邦題にした。

昼間はレストランで働き、夜はナイトクラブで歌うトランスジェンダーの歌手マリーナ(ダニエラ・ベガ)は、実業家オルランド(フランシスコ・レジェス)と同棲しているが、ある夜彼が突然脳の病を起こして帰らぬ人となる。
 彼女はトランスジェンダーであるが故に病院であらぬ目で見られ、階段を転げ落ちた時の傷が死去と関連付けられて警察に疑いの目を向けられた挙句屈辱的な検査をされたり、前妻や息子から直接的・間接的な嫌味を言われて葬式に参列もできない。
 しかし、葬儀場にいると、オルランドの幻影に導かれて焼却炉まで辿り着き最後の接触を果たすことが出来る。愛犬も遺族から返され、幸福感を味わう。

病院や警察の対応はトランスジェンダー故の反応以上に、カップルの痴情のもつれという疑いがベースにあり、対して家族の反応はお金目当ての愛人それも本当は男という意識が強くあるように思われる。女性であっても愛人に対しては辛く当たることが想像されるが、そこにトランスジェンダーの、ごく一般的な人の覚える気色悪さが加わっての反応であると考えられる。両者に差はあるが、いずれにしても純粋な女性であればもう少し対応がソフトになったであろう。

映画としては、LGBTの諸氏諸嬢が遭遇する様々な偏見・差別を見せながら、そこにいつまでも拘泥せず最終的に愛の大きさ・素晴らしさを浮かび上がらせるところを買いたい。実際にトランスジェンダーである歌手ダニエラ・ベガの演技も好調。ただ、アカデミー外国語映画賞を受賞した作品としては少し弱く、現在的なテーマに引っ張られた受賞のように感じられる。

この間何組かの同性のカップルが“結婚を認めろ”と訴訟を起こした。僕は古臭い人間なので同性のカップルが“結婚”するという観念を言葉の上で理解することができないが、彼らが家族として認められる必要性は大いに感じる。家族として行動できる権利は認められなければならないと思う。

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