映画評「アトミック・ブロンド」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年アメリカ=ドイツ=スウェーデン合作映画 監督デーヴィッド・リーチ
ネタバレあり

シモーヌ・ボーヴォワールの「第二の性」を読み終えた。男女をめぐる色々な現象が家父長制社会から生まれたと理解できて抜群に興味深い。
 70年前ボーヴォワールは女性が体力的・身体能力的に男と伍する映画がこれほど作られるとはなかなか想像できなかったにちがいない。しかし、これはフェミニズムが欧州においてほぼ目的を達したから起きている現象なのか、それともまだまだ足りないからこういう映画で促そうという目論見があるのか研究に値しようか。少なくとも原作の劇画を書いたコンビ(サム・ハート、アントニー・ジョンストン)はどちらも考えていないと思うが。

「007」や「ミッション:インポッシブル」のような極めて漫画的なものを別にすると、スパイものはハードボイルド映画と並んでややこしいものが多く、劇画を原作とするにもかかわらず、本作もその例に洩れない。そこで敢えて簡単にお話を記す。

雪解けが進み東ドイツの共産主義体制が崩壊しようとしている1989年、MI6の女スパイ、シャーリーズ・セロンが、冷戦に絡むスパイを網羅するリストを仲間から奪った人物もしくは組織から奪還しに東ベルリンに赴き、現地で働くスパイのジェームズ・マカヴォイに接触するが、やがて彼女の行動や作戦が筒抜け、二重スパイ“サッチェル”の存在が明らかになり、その正体を暴く必要が生じて来る。
 リストは腕時計型の装備だけでなく、ヒッチコック「三十九夜」(1935年)のミスター・メモリーを髣髴とする記憶男エディ・マーサンの頭にも入っているが、彼を殺され、“サッチェル”と対峙することになる。

根幹だけを抜き取ればそうややこしくないが、実際に観ているとよく解らないところがある。回想型で頻繁に二つの時間軸を往来するところに、却ってややこしさを増した理由があるように思うし、それを別にしてもこの往来が展開にブレーキをかけるような印象を覚えさせる。ここ四半世紀くらいもの凄い率で回想形式が使われているのに嫌気が差しているので、余計に気になる。但し、冷戦時代が終ろうとしている時に冷戦時代的抗争が行われていたという着想は捨てがたい。

スタントマン出身というデーヴィッド・リーチという監督の見せ方は相当スタイリッシュで、アクションを切れ目なく見せる長回しを別にしても、なかなか良く、得点源。誤魔化しが効きにくい長回しということで、シャーリーズも自ら相当頑張ったのだろうが、恐らくはスタント・ウーマンが多くの場面で活躍していると思う。最近はコンピューターを使って一つのショットに見える細工が出来るらしいから。実際、かつらを被っていたり、アクションの前にわざわざサングラスをしたりするのは区別しにくくするためではないかと意地悪く勘繰れたりする。

1989年及びドイツということを考慮したポスト・パンク的でシンセサイザーを使った既成曲(個人的にはデーヴィッド・ボウイが印象深い)を多用して耳を楽しませてくれるのは良い反面、のべつ幕なくかかっている感じで、映画における音楽の効果を考えた時には余り褒められない。

戦後相当進んだところもあるが、日本はまだ「なみだの操」の精神が根強いか?

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