映画評「外人部隊」(1933年)

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1933年フランス映画 監督ジャック・フェデー
ネタバレあり

フランス戦前の大監督と言われる中で現在最も忘れられた存在が恐らくジャック・フェデー(フェデール)であろう。僕が若い時(1970年代)には絶対触れければならない監督であったし、当時はNHKが一生懸命この時代の作品を放映していたので、「ミモザ館」「女たちの都」と合わせた三部作は全てNHKで観た。勿論衛星放送もビデオ・レンタルもない時代だから見逃すわけにはいかなかった。

贅沢好きな女フローランス(マリー・ベル)に会社の金をつぎ込んだのがばれて家を放逐された良家の青年ピエール(ピエール・リシャール=ウィルム)は、彼女が一緒に道行(笑)をしてくれないと知って自暴自棄になって流れ者の吹き溜まりである外人部隊に身を投じ、モロッコの宿屋にお世話になる。酒場を兼ねた宿屋の女将ブランシュ(フランソワーズ・ロゼ―)のトランプ占いはよく当たり、彼が男を殺し、亭主クレマン(シャルル・ヴァネル)は金髪の男に殺されると言う。二人の男たちは笑う。
 やがてピエールは繁華街でフローランスと瓜二つの商売女イルマ(マリー・ベル二役)を発見してのめり込み、ブランシュの店で働かせることにする。亭主は女癖が悪くイルマに手を出したところへピエールが帰って来、激怒して亭主を殺してしまう。トランプ占いが当たったのだ。ブランシュはピエールを息子のように思っているので殺人をひた隠しにし、やがて伯父の遺産と共に傭兵の年季も明けるピエールはイルマと一緒にモロッコを去ることにする。
 港で相変わらず派手なフローランスと再会したピエールは翻意してイルマだけを旅立たせるが、フローランスが相変わらず冷たいのに絶望し、再び外人部隊と契約する。トランプ占いが彼の死を告げるのを見てブランシュは絶望する。

若き僕はこの作品の運命論的な色彩に「アメリカ映画が登場人物が運命を乗り越えていく様子を描くのに対し、フランス映画は登場人物が運命を受容する。フランス映画は運命論的である」という両国の映画作りのスタンスの違いを確信した。勿論例外もあるが、多くはこの線に沿っていると思われ、今でもこの基調は残っているだろう。

というわけで、僕にとって本作は頗る重要な映画なのである。

外人部隊を描いて一番有名な映画は1930年製作のアメリカ映画「モロッコ」で、あちらがファンタジーに近いロマンティック千万な作りであったのに対し、本作はシニカルなリアリズム基調である。リアリズムと言っても、トランプ占いによる神秘主義的な要素を含む運命論的なストーリー展開であり、世に言う詩的リアリズムであって、現実そのものということではない。アメリカ映画より人生に対して悲観に傾く、厳しい視線を向けているということなのだ。

女性問題で自暴自棄になって外人部隊に身を投じ、それを最後に繰り返す主人公の心理が現実的ではないという声もあるが、今の時代ならともかく、この時代において自暴自棄のメタファーとして主人公を登場させ行動させた意味は理解してしかるべしで、僕はこの点に関し何の疑問も持たない。

実力派フランソワーズ・ロゼーとマリー・ベルの女性陣が圧巻と言える好演。

奇しくも女優が二役を演ずる作品が続きました。ところで、先日ネプチューンが、林修氏の「奇しくも」の解説に「運命的ということか」と反応していたが、意味は真逆。運命的(必然)なら、何の不思議もない。

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