映画評「野火」(2015年版)

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年日本映画 監督・塚本晋也
ネタバレあり

大岡昇平の小説「野火」は高校生の時に読んだ。市川崑が映画化した1959年版は、製作の20年後くらいにオールナイトの4本目に観た。パンフレットもなくストーリー紹介の書物もなく、記憶のままストーリーを絡めた映画評を書いた。塚本晋也が再映画化した本作は見ただけではストーリーを書くのが容易でない感じがするのに対し、かの作品は簡単に言葉に移すことができた。僕も若くて4本を観た後帰宅して軽く寝、徐に起きると4本を一気呵成に書いたものである。今ならとてもできない。

今回これを見ると物語自体は59年版と殆ど変わらない。それを少し利用して書いてみる。

太平洋戦争末期、フィリピンのレイテ島。日本軍がほぼ全滅し、僅かに生き残った日本兵たちは食糧難や傷病で辛うじて生きているという状態。大岡本人を投影したらしい主人公・田村一等兵(塚本)は肺を病み、部隊長から貰った芋を持って“病院”へ行くと、“病院”の方は部隊へ戻れと言う。
 各々の食糧事情の為にこうした不条理が生ずるのだが、往復する間に煮物をする現地人に遭遇したり、煙を発見したりする。現地人と言ってもゲリラがいるので油断ができない。煙はゲリラの合図かもしれない。

戻るところがないので彷徨しているうち現地人の村に行き当たり、塩を発見するが、そこに残る累々たる日本兵の死体が戦争・戦場の残酷さを大いに物語る。別の部隊と遭遇した主人公は集合命令の出ていることを知るが、目的地に着くまでに周囲の兵隊は次々と倒れていく。

市川崑はこんな凄惨なお話の中でさえ、靴を巡る挿話などでユーモアを醸成しつつ戦場の恐怖と狂気を浮かび上がらせていたが、塚本監督はひたすら凄惨さから恐怖を浮かび上がらせる。彼らしいグロテスクな酸鼻を極める描写がこれまでかと続き、最後は原作通りの狂気が爆発する。
 即ち、秘かに持つ煙草を食糧に交換して生き延びてきた一等兵(リリー・フランキー)と彼の使い走りをする腰巾着の若い兵士(森優作)とが、互いに殺すチャンスを窺い、遂に若い兵士が古参を殺してその肉を食べようとするのである。

というお話を帰還した作家たる主人公が文章に認(したた)めている。

映画としては明解なストーリー展開で戦場の狂気を示した市川版を断然買うが、恐らく実際の戦場の酸鼻に近いであろう本作を観れば「永遠の0」における美化された戦争は簡単に吹き飛んでしまう。安保法に賛成の若者も反対の若者も一度見ておく価値がある。戦場の狂気と恐怖は、安保の是非などというレベルを超えているのである。

今日は広島原爆の日。若い人の中には知らない人が多いと聞く。

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