映画評「キングスマン」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2014年イギリス=アメリカ合作映画 監督マシュー・ヴォーン
ネタバレあり

世評ほど楽しめなかった「ウォンテッド」(2008年)の原作コミックを描いたマーク・ミラーのコミックを原作とするスパイ・アクションだが、こちらは断然ご機嫌。
 基本は似ているのに何が違うかと言えば、こちらは古いスパイ映画のパロディーや楽屋落ちとも思われる要素やブラック・ユーモアが満載で、ニヤニヤ、ニタニタ、ゲラゲラと笑わせながら進行、アクション・シーンの馬力も相当なもので、余分なことを考えさせる隙が無い。「ウォンテッド」のように観ている最中に「これはおかしいぞ」などと思わせてはダメなわけで、ジャンル映画に関しては仮に終わった後に疑問が生じても当座の評価としてそれは無視してヨロシイ。

英国に私設特殊機関がある。アーサー王と円卓の騎士を気取った組織でキングスマンと呼ばれるが、最終試験中の若者が殺される。彼には幼い息子エグジーがいる。
 十数年後再婚した母親の連れ合いに虐待され非行に走っていたエグジー君(ターロン・エガートン)は、昔父親の死を告げに来たエージェントのハリー(コリン・ファース)に「助けが必要なら連絡しろ」と言われた電話番号に連絡を取ったことから、キングスマンの候補生となる。世界滅亡(一種の世界征服)を企むIT企業家(サミュエル・L・ジャクスン)の許に乗り込んだランスロットが惨殺され、その補充である。

彼を殺したのは実業家の相棒兼秘書のような美人(ソフィア・ブーテラ)で、その武器が義足の刃というのがお楽しみ。ここで「007/ロシアより愛をこめて」(1963年)を思い出す人もいるだろうし、「007/私を愛したスパイ」(1977年)っぽいと思う方もいるだろう。実業家本人は「現実は昔のスパイ映画(基本的に007のこと)とは違う」と言いながら、画面は昔の「007」をモダンに作り直したような漫画感覚でいっぱいである。
 最近の007シリーズはしかつめらしくなり、ショーン・コネリー時代は勿論ロジャー・ムーア時代のおふざけ感覚が殆どなくなっているので、オマージュやその類の心理ではないにしろ、そうした時代のスパイ映画を現在の感覚において作ればこんな感じになるだろう、という乗りで作者が作った印象を受ける。
 その意味において、一部の人が仰るムーアではなく寧ろコネリーのほうに近い印象を覚えている。1970年代「ムーア・ボンドは、コネリー・ボンドと比べて漫画である」という評価が目立ったが、時代背景を考えた時コネリーのスパイ・アクションも完全な漫画だったと僕は思う。スパイ・ムードがムーア版より多少本格的だっただけである。その他のスパイ映画に似た部分もあるようだが、余りそれに拘ると切りがないので先に進む。

結局新しいランスロットになったのは美人ロキシー(ソフィー・クックスン)だが、失格となったエグジー君も、予想外にも途中退場即ち殺害されてしまうハリー氏の代わりを務める大役が待っている。組織長たるアーサー(マイケル・ケイン)まで途中退場し、魔法使いに相当する編成係マーリン(マーク・ストロング)が二人の若者を率いて、携帯やパソコンのSIMを利用した世界滅亡計画を阻止すべく、悪徳実業家の拠点へ殴り込みをかける。

というお話自体は片足棺桶組には中の上くらいの面白さながら、冒頭で述べたように遊び感覚によりお楽しみ満載、高得点となった。
 敢えて難を言えば、残虐度が高いことだが、それとてブラック・ユーモアの一環として消化されている感があるのでさほどマイナスとならない。特に笑えたのは悪漢に寝返った各国代表者たちの頭が「威風堂々」の音楽とともに花火のように吹き飛ぶシーン。まるで残虐味を感じさせないユーモアである。

ユーモアではないが、レイナード・スキナードの名曲「フリー・バード」のハイライト部分と合わせて描出される教会での大殺戮も圧巻。リード・ギターに痺れながら観たデス。

因みに、スパイの親玉を演じるマイケル・ケインが半世紀前に演じたスパイの名はハリー・パーマー。で、本作の途中までの主人公の名前は偶然かもしれないがハリーなのだからオールド・ファンはニヤニヤしたくなる。だから、若い人が面白がった理由と違う部分も結構あると思う次第でござる。

変則的【ノアの箱舟】映画なり。

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