映画評「私の、息子」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2013年ルーマニア映画 監督カリン・ペーター・ネッツァー
ネタバレあり

ルーマニア映画とは珍しいと一瞬思ったが、秀作「4ヶ月、3週と2日」(2007年)など記憶以上に観ている。合作を入れれば、それほど珍しくない。

舞台美術家の金持ち女性コルネリア(ルミニツァ・ゲオルニゥ)は、30歳にもなるのに全く独立できない息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)に甚だしい干渉をしている。彼に与えた別宅で連れ子のある恋人カルメン(イリンカ・ゴヤ)と暮らし始めてから息子は母親の干渉を余計に煙たがるようになる。母親にはそれが面白くない。
 そんな或る日、義妹オレガ(ナターシャ・ラーブ)から彼が交通事故を起こし、撥ねた子供が死んだという情報がもたらされる。権力にコネのある彼女は、早速過保護な馬鹿親ぶりを発揮、走行速度に関して警察の調書まで書き変えさせようとする。そうすると証人の調書と整合しなくなる為こちらにも細工を施そうとし、結局は金の力に頼らざるを得なくなる。いずれにしても被害者の家を訪れなければならない。
 かくして出かけた被害者宅。バルブは車から降りず、コルネリアとカルメンが謝罪の気持ちを伝えようとするが、コルネリアの口から出て来るのは「素晴らしい息子の未来を奪わないで欲しい」というエゴイスティックな言葉ばかり。息子を愛する気持ちには変わりがないから、彼女の思いは少しは伝わるかもしれないものの、これで被害者の父親が慰められるべくもない。加害者に対して冷静な態度を取ることの多い日本人でも怒るような態度に対し、この父親には怒る元気すらない。
 母親が戻って車に入って来るや否や、息子は決然と車から飛び出し門の外に出てきたかの父親と対峙する。やがて二人は軽く握手を交わし、車に戻って来た息子は涙を流す。

本作の場合、ダメ息子だったから母親が過保護になったのか、母親が過保護だからダメ息子になったのか定かではないが、今まで観てきた映画やTVドラマが示す統計から言えば後者であろう。
 本編中のセリフにもあるように、息子の母親を拒絶する態度は彼の反対の精神状態を示している。つまり、彼は依然母親に依存するばかりで、自身への忸怩たる思いがそういう矛盾する態度を取らせるのである。しかし、幕切れで彼が車から出て被害者の父親と対峙するのは彼の独立心の表れにちがいない。二人がどんな話をしたか知らないが、彼が死んだ息子の親であるように、彼女も大事な息子の親である・・・親の普遍的な思いが恐らく父親の心を和らげたのだろう。

息子の涙は色々な思いが混じっているだろうが、その中に親の思いへの理解もあるような気がしている。同時に彼はきっと親へ愛情を示しながら自立を目指すだろうと感じさせる。

ただ、カリン・ペーター・ネッツァーという監督のカメラワークが気に入らない。長回しは特段構わないが、人との対話でカットを切らずにカメラを振り回す部分が非常に煩わしいのである。ただ、この長回しが幕切れでは大きな効果を上げていることは認めなければなるまい。カットで繋いだらここまでの情感は醸成されなかったように思う。

内心忸怩たる思いを抱いていることに対し他人特に親から言われると腹が立つことが多いのが人間。若い頃僕も親に対してそうだった。今は亡くなった両親に心の中で合掌している。

"映画評「私の、息子」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント