映画評「ネバダ・スミス」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1966年アメリカ映画 監督ヘンリー・ハサウェイ
ネタバレあり

昨日アラン・ドロンを見たので、今日は60年代を通して日本で双璧と言われる人気を誇っていたスティーヴ・マックィーンを観ることにした。相当無理して新作に付き合っているが、それでも観たい作品が年々激減していて、スケジュールが空いたのだ。今後こうした自分のライブラリーからの鑑賞が増えていくだろう。

さて、少年時代毎月一本くらいヘンリー・ハサウェイの作品がTV放映されていたような記憶がある。ハサウェイ(若しくはハザウェイ)はアクション映画を大量に作った職業監督で、本作に代表されるように西部劇も多かった。

マックィーン扮する少年マックスが両親を殺した三人組に復讐する為に、二人の死体のある家を焼き払って追跡を開始、武器商人ブライアン・キースに拳銃の使い方を習い、文字の勉強も始める。
 徐々に一人前になっていく彼は、ある町で父親の馬を発見、持ち主のマーティン・ランドーを牛の暴走する牛置場で上手くナイフで仕留める。続いて新聞でもう一人の男アーサー・ケネディーが刑務所にいると知り、わざと銀行強盗未遂を起こして入所、労働の最中に南部の湿地帯を逃げる計画を彼に持ち掛け、農村の娘スゼンヌ・プレシェットを道案内に脱走して彼を倒すチャンスを探る。

ランドーを仕留めるまでは上出来なのだが、ケネディーを巡る一幕が余り良くない。普通の勘を持っている人なら間違わないとは思うが、わざと入所してケネディー殺しを狙っていることが、その場面になるまで解りにくい作り方になっている。端折っている部分と描かなくても良い(のに描いている)部分とのバランスが逆のような気がするのである。中学か高校の時に初めて観た時に一番の眼目だったスザンヌが彼の復讐の犠牲になるというのもちょっとすっきりしないものを覚える。当時は出番が少ない為にがっかり、今度は後味の悪さの為にがっかり。

最後は黄金強奪を計画する一党の親分カール・マルデンの子分になってチャンスを狙う。マルデンが彼の正体を見破ろうと色々画策したり、キースが呼びかけたのに少年が答えなかったりする辺りは面白いが、イタリア系神父ラフ・ヴァッローネの説教の影響か、復讐に虚しさを感じて、折角追い詰めたマルデンの手足を撃っただけで去っていくのは少々拍子抜け。
 この幕切れをどう思うかで評価も変わって来るわけで、余り後味が悪いのもどうかと思うものの、マルデンを殺したほうが一般観客にはカタルシスが生まれるとは思う。しかし、最近の作品と違ってあらゆる意味で見やすいのが良い。

タイトルは、マックスがマルデンの子分になる時に使う偽名で、1964年に作られたハワード・ヒューズがモデルと言われる大作「大いなる野望」に映画俳優としてこの名前で登場した。この映画はその若き日の前日談として映画マニアには知られている。

ご指摘の方が多いように、既に三十歳を過ぎていたマックィーンが十代後半(と思しき)少年を演ずるのはさすがに無理がある。年齢をことさら強調した作りではないからさほど気にならないが。

復讐は映画の恰好のテーマみたいで、今月は結構多いよ。

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