映画評「ヒア アフター」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2010年アメリカ映画 監督クリント・イーストウッド
ネタバレあり

クリント・イーストウッドは今や日本の映画ファンが一番期待して映画館に駆けつける監督になった感があるが、僕の彼に対する評価は世評より低いと思う。2008年に発表した「チェンジリング」と「グラン・トリノ」、「マディソン郡の橋」(1997年)、「バード」(1988年)が気に入った外は、多く星を付けた作品の中にも世評ほどと思わなかった作品が多い。それはともかく、本作は近年の作品の中では世評が一番パッとしない。それが頷ける面もあるし、別の作品を高く評価した人がこの作品を買えない理由の解らないところもある。

中心となる人物は、交霊術の才能を呪われているとして工場で働いているマット・デーモン、序盤休暇中にインド洋の大津波に巻き込まれて蘇生、その間に不思議な世界を見たことを本に著すフランスの女性ジャーナリストのセシル・ド・フランス、双子の兄の交通事故死の後その兄に助けられたと思い霊能者を訪ね歩く英国ロンドンの少年(ジョージ・マクラーレン、フランキー・マクラーレン)の三組。

セシルはブックフェアに著者として参加する為、デーモンはそのブックフェアでデレク・ジャコビ(本人)が好きなディケンズを読むのを聴く為に、夫々ロンドンに赴き、ここに生と死に関し孤独を味わっている三つの魂が相見(まみ)えることになる。

本作の印象が芳しくない最大の理由は、身も知らぬ三組がロンドンで遭遇するまでの作劇がいかにも作り物めいていることである。前半まで全く並行描写されどういう風に絡んでくるか想像つかないどころか狙いも良く見えないと思っていると、中盤突然生死に絡む孤独という共通項を見せていずれこの三組が出会うことになるだろうと予想を付けさせ、最後にブックフェアを持ち出して強引と言って良い手段で集わせてしまう。
 人には運命というものがあり、彼らがブックフェアで会ったところで実際には不思議ではないが、寧ろそれまでの見せ方のぎこちなさから作り物めき、鼻白むのである。

他方、あの世・霊界という要素を交えながら、偏(ひとえ)に人間の孤独とそれからの解放をテーマに話を構築した脚本家ピーター・モーガンやイーストウッドの態度には感心させられるところが多く、敢えて言えば、孤独な彼らがそこに集結するのも少年の(兄の)帽子の件のように誰ぞの魂が導いたものかもしれない、などと思えて来ないこともない。

3・11震災の為に序盤に大津波のある本作は途中で公開が打ち切られたと聞くが、恐らくモーガンは2004年スマトラ島沖地震による大津波を見てお話を思い付いたのであろう。序盤の津波は少年の兄が不良に追われて死ぬ“事件”と一種対照を成す“災害”という位置付けになっていて、多くがみまかる中でセシルが生還した“運命”を強調する為に置かれ、何故“運命”は彼らを結び付けたのか考える上でなかなか重要な設定と思われる。

かくして、全体として評価が低めなのは致し方ないとしても、身内の死による孤独を痛いほど味わっている僕には無視できないというのが本音である。

昨年から僕も死後についてよく考えるようになりましたなあ。

"映画評「ヒア アフター」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント