映画評「第9地区」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2009年アメリカ=ニュージーランド映画 監督ニール・ブロムカンプ
ネタバレあり

そう思った人はそれほどいないと思うが、2009年のアカデミー賞作品賞にノミネートされたこのSF映画は、21世紀の「猿の惑星」(1968年)と言うべき作品である。

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1980年代ヨハネスブルグに「インデペンデンス・デイ」よろしく突如現れたまま動かなくなったどでがい宇宙船に地球人が乗り込み、疲弊した宇宙人を救い出して難民として仮設住宅に住まわせてから二十数年後、そこは第9地区と呼ばれるスラム街と化し、彼らを差別的に扱う地球人との間に軋轢が生じている。
 そんな或る日、MNUなる超国家的組織が宇宙人を第10地区に移住させる名目の下に彼らの武器を収集しようと社員シャールト・コプリーらを第9地区に向わせる。そこで正体不明の液体を被ったコプリー係員は宇宙人風に変身を始め、MNUに実験台にされかかったところを脱出、その液体を母船に帰るエネルギーとして集めていた宇宙人と人間に戻りたい彼の利害が一致、液体を取り戻すべくMNUに乗り込む。

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というお話で、「猿の惑星」が戦後における黒人たちの公民権運動を猿たちにオーヴァーラップさせていたのに似て、アパルトヘイトをエイリアンVS地球人の構図に投影させているが、どちらもそれ自体としては大した興趣にならない。
 「猿の惑星」(第1作)が面白かったのは、ブラック・パワーを暗示したからではなく、あくまで人類が(その時点で他の惑星と推測させられるとは言え)猿の支配下にあるという純然たるSF的興味と強烈無比な幕切れによってである。同じように、本作が何とも直球すぎて身も蓋もないと言われても仕方がないアパルトヘイト風刺の為に高く評価されるなどということはあってはいけない。

どちらかと言えば、宇宙船に帰れないエイリアンはアパルトヘイトの有色人種ではなく、新大陸に連れて来られ白人の名前を付けられたクンタ・キンテ(アフリカ人)であるが、勿論それとて映画的価値とはならない。しかも、疑似ドキュメンタリーという手法がSFにおいてはもはや古臭く面白味に貢献しないどころか、寧ろ辟易感を募らせる。

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それよりは、宇宙人の武器が彼らのDNAと結び付いて初めて有効な武器になるといった、面白い映画を作ろうという努力が具体的に現れた部分を買っておきたい。
 それに関して低予算(所謂B級映画)と記そうと思ったが、実際には3000万ドルもの巨費が投入されている模様で、キャスト及びスタッフのギャラを別にした製作コストという意味では低予算と程遠い。製作に回ったピーター・ジャクスンが自分で監督して、2000万ドルクラスの男女優を起用したらあっという間に1億ドルの超大作になってしまうだろう。

昔から西洋人は甲殻類を相当グロテスクと思っているらしい。

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