最後の映画批評家・双葉十三郎氏遂に逝く

 このブログの常連であれば、ご存知の方も多いかと思いますが、僕はおよそ40年に渡って映画評論家・双葉十三郎氏に私淑してきました。高校時代には双葉先生の採点(☆と★)が夢にまで現れたほどです(笑)。

 1910年生まれということで、21世紀にならんとする頃からいつその日が訪れるのだろうかと新聞に目を通すのが怖い日々が続いていましたが、遂にその日が訪れてしまいました。正確には昨年の12月12日にお亡くなりになったということで、淀川長治氏が亡くなってから11年の後に盟友の元へ旅立って行ったことになります。

 標題に記した【最後の映画批評家】というのは、映画批評のみで食べられている最後の批評家ではないかという意味で、懇意だった小林信彦氏が名付けた肩書きです。


 僕が双葉先生を尊敬するには多くの理由がありますが、主に下記の二つ。
 
 一つは、嫌いなジャンルがないこと。
 「あれはダメこれはダメ」とジャンルの時点で既に評価を定めてしまう評論家が多い中で、稀有な方でした。だからどんなジャンルでもほぼ公平に評価を下すことができたのだと思います。戦前からの映画評論家では珍しいことにB級映画を真面目に論じてきましたが、かと言って昨今のB級御用達評論家のように必要以上に持ち上げようとはせず、採点上は低くても楽しんでいるというスタンスでした。

 もう一つは、その映画の内容や狙いに応じて評価を下されたこと(これが実際にはなかなか難しい)。
 一般の人は勿論ですが、プロの評論家にも「木によって魚を求む」愚を犯すことが多いのが現実。つまり、多くの場合は【ないものねだり】です。例えば、スパイ映画の登場人物に求められる以上の性格描写を求めたり、アクション映画に犯人の心理を求めたり、ドタバタ・コメディーに社会性を求めたり、要は自分の観たいものがないからダメといった姿勢の人が多く、その偏りが映画評を今のような内容重視・技術軽視にし、(少し大げさですが)ひいては映画を大ヒットはしても映画としてなっていない作品と、映画的には優れているが熱烈な映画ファンにしか観て貰えない作品とに二極化する傾向を作ってしまったのではないでしょうか。

 その意味で、戦後双葉先生の影響を受けた評論家は多いはずなのに、同じようなスタイルで同じレベルの方がついぞ現れなかったのはつくづく残念に思います。
 僕がこのブログを始めたのも全く力不足ながら【第二の双葉十三郎】を気取って、世の中にはびこる映画に関する偏った観方や常識とされている非常識を少しでも取り除けたら良いと思ったからで、若い映画ファンの中に弊ブログを定期的に読んでくれる方が一人でもいれば満足なわけです。

 先生の主なフィールドとなったのは僕が40年間愛読している「スクリーン」誌における「ぼくの採点表」で、初期は短評としてはかなり切り込むスタイルでしたが、年を経て読者の年齢層が段々下がるに合わせて徐々に短くなり総論的になって来たので物足りなく思う映画ファンもいらしたでしょう。その代りに頭をひねらずに取り上げた映画の性格が解るという側面があり、僕もその路線に従って書いておるつもりです。

 他の雑誌に掲載した長めの批評には本来のスタイルである精緻なカット(ショット)ごとの分析のものがあり、これを読まずに双葉十三郎の双葉十三郎たる所以は解りません。
 圧巻は1948年から1950年にかけて「映画芸術」という映画専門誌に連載していた「日本映画月評」。掲げたテーマに沿って批判(批評ではなく批判)するのを主旨とした珍しい月評で、切り口が鋭くて面白く、名調子で書きたい放題。ご本人も批判した俳優が「殴り込みに行く」と言ったと聞いて「びくびくしていた」と述懐するほどの猛烈さですが、その猛烈な批判の中に映画への愛情が感じられ、正鵠を得ているところに、映画サイトによく見られる罵詈雑言とは全く違う迫力と説得力がありまして・・・双葉先生の書かれたものの中でも断トツの面白さと言えるでしょう。有料の雑誌という公の場であそこまで書けた精神も大変なものです。
 「日本映画月評」をまとめた書籍の発売を請う!


 いくら書いても切りがありません。いつか先生とお話をしてみたいという夢は潰えましたが、今は何年か後天国でお話させて戴きたい心境です。

 安らかにお眠りください。

"最後の映画批評家・双葉十三郎氏遂に逝く" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント