映画評「ウォーリー」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2008年アメリカ映画 監督アンドリュー・スタントン
ネタバレあり

ピクサー作品の質の高さには目を見張るものがある。本作を評して「ディズニー云々」というコメントを何度か目にしたが、ピクサーはその製作態度において決してディズニーとイコールではないので混同すべきではないだろう。

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今からおよそ800年後の地球、人類は宇宙船に暮らしており、地上にはゴミが溢れている。ニューヨークと思しき廃墟と化した摩天楼の下で、ゴミ処理ロボットのウォーリーが黙々と仕事をこなしている。古いタイプだが、20世紀のミュージカル映画「ハロー・ドーリー!」を見て手を繋ぐことに憧れている愛嬌のあるロボットだ。そんな十年一日の如きある日ぴかぴかの白い本体に青い目が光る探査ロボットのイヴが轟音と共に降り立つ。孤独なウォーリーはそんな彼女が気になって仕方がなく、強烈な攻撃で迎え撃つ彼女の気を引こうと色々な作戦を繰り出す。

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というのが前半のお話で、まずだだ広い廃墟で黙々と仕事をしているウォーリーの様子に孤独が際立ち強い印象を残す。その孤独を強調する役目を負って登場するのがゴキブリ(なのかどうか実際には判然としない)で、ウォーリーにとって唯一の友達とでも言うべき存在なので至極大事にしている。「アイ・アム・レジェンド」で主人公に寄り添う犬の如し。世間に嫌われる虫の描写の多いことに疑問を呈する方も見られるが、ゴキブリは生命力の象徴みたいなもので、踏まれても蘇ってくる姿やそれに安堵するウォーリーの姿に仄々としてくる。

そこに加わってくる近ごろ流行りの「凶暴な彼女」イヴとの描写はもっと微笑ましい。ウォーリーが彼女の気を引こうと色々なものを差し出すいじらしさには思わず口元が緩み、反応しなくなった彼女に寄り添う場面にはじーんとさせられる。ここまで抜群の詩情を醸し出し特筆に値する出来映え。

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さて、イヴは植物を探査するのを使命としているロボットで、植物を宇宙船に持ち帰るとそれが地球帰還指令になる仕組みなのだが、途中で変えられた指令を忠実に守るコンピューターのグループが植物を消滅させようと、古い指令に忠実なイヴや地球に戻りたい艦長に反旗を翻し、イヴについて宇宙船にまでやってきたウォーリーはその際に傷んでしまう。
 この終盤は先週観たばかりの「イーグル・アイ」同様「2001年宇宙の旅」のHALの再来で、同作に使われたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラストラはかく語りき」がご丁寧に再採用され、ニヤニヤさせられる。

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しかし、音楽を別にするとこの叛乱ロボットは「2001年」のパロディーやオマージュとは別の扱いで、あくまで主題展開に必要な要素と考えるべきで、それは破壊されゴミの山になった地球についてもほぼ同様と思われる。
 本作を批判する人の立場は「テーマが陳腐」というところに集約されるようだが、本作が真に目指したテーマは、そうした人々の考える<環境問題と人間>ではなく、<愛と友情の物語>であろう。僕の印象では、【環境が破壊された地球】はただお話の背景及び舞台にすぎない。<愛と友情>は文学や映画ではもっと古いテーマだが、まさかこれ自体を陳腐と仰る人はいらっしゃるまい。
 いずれにせよ、陳腐か否かはテーマそのものではなく、その扱いにより決定される。扱いが新しいかどうかは各人の感性によるので僕には何とも言えない。

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一般論はさておき、前半の詩的ユーモアの秀逸に比べると、人間が絡んでくる後半は散文的でさすがに落ちる。それでも最終盤イーヴがウォーリーを思う、前半と立場を逆さまにした場面にはやはり感無量。何だかんだ言ってきたけれども、本作を表すには難しい言葉でなく「愛くるしい」の一語で良いのではないだろうか。

終盤多少ドタバタするが他のアメリカのアニメと違ってうるさ過ぎたりディズニーのように説教臭いところがなく、一つ別次元の印象がある。アニメとしては去年の「レミーのおいしいレストラン」と並ぶ収穫と言うべし。

「イーヴァ」「ウォーリー」が口癖になってしまった。

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