映画評「母べえ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2007年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり

黒澤明作品のスクリプターだった野上照代の自伝的小説を山田洋次が映像化した反戦映画である。

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昭和15年、不穏な空気が漂う時代の東京、父と母、長女と次女の四人から成る野上家は、戦争反対をその著書の中で唱えた為に作家の父親・滋(坂東三津五郎)が特高(特別高等警察)に逮捕されて平和な生活が壊されるが、大学の教え子山崎(浅野忠信)が世間知らずの母親・佳代(吉永小百合)に色々アドヴァイスをしたり、二人の子供たちと遊び相手になるなどして一家を支えてくれる。

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この一家に、佳代に離婚を強要する警察署長だった父親、病気の母親の看病の為に美術学校を辞めて故郷の広島に戻る夫の妹・久子(壇れい)、ずけずけした物言いで人を傷つけることもある叔父(笑福亭鶴瓶)といった親戚たちが豊かに彩りを添え、自由に物が言えなかった不幸な時代を静かに焙り出していく。

結局夫は獄死、山崎は戦死、叔母は広島で被爆して原爆症で死ぬ。一家揃って愛した者が全員死ぬという運命はその後の家族に大きな影を落としたに違いない。
 【広島】という地名がごく序盤に使われ通奏低音的に悲劇性を早くも醸し出し始めるが、【広島】の使われ方は僕の予想と全く違っていた。

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例によって山田洋次は強いメッセージを提示するわけではない。いつも通り彼のテーマは家族である。治安維持法による思想・言論統制が大いなる不幸であったことは言うまでもないが、家族にまとわりつけて一体に描くので【それ】が独り歩きすることはなく、僕らの心を揺さぶるのは結局家族の結び付きそのものである。

人物の描写とて偏ることはない。娘に「勘当する」と声を荒げる父親、戦争に積極的に賛同する炭屋、教え子を批判せざるを得ない滋の恩師といった体制に与する人物、反戦を唱える滋とある意味近い位置にある放埓な叔父、そして検事となって高圧的な態度を取る滋の教え子も特高の刑事たちさえも観照的に描出されるのみであり、山田監督の映画の作り方に対する良心を強く感じずにはいられない。

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しかし、僕が一番強調したいのはショットやシーンが絹の手触りの如く滑らかに繋がれる編集の見事さ。山田監督の後継者になり得るのではないかと思っている佐々部清監督あたりもまだまだ【絹の滑らかさ】というわけには行かない。それはショットレベルで言えば映画文法の「てにをは」が完璧であり、場面レベルで言えば「字余り、字足らず」がないからである。場面が変わっていることを明確に示しつつ、変わったことを意識させない。僕に言わせれば山田洋次こそ【超絶技巧のテクニシャン】なのである。

構成的に最後の病院シーンはちょっと浮いた印象がなくもないのだが、死の間際まで夫に生きていてほしかったと思い続けた母べえの愛情の深さを物語る為に必要だったのだと思う。それなくして戦時中の佳代の姿をタイトルバックに紡がれる滋の言葉は重さを伴わないし、佳代の言葉を受けて始まる掛け合い二重奏のような味わいが醸成されることはない。

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六十歳を過ぎた吉永小百合が恐らく三十代半ばの主婦を演ずるのは厳密に言えば無理があるが、本作のセットに感じるのと同程度の僅かな不自然さに過ぎない(セットの不自然さは意図的なものである)。演技自体はベストとは言えないかもしれないが大きな問題はなし。
 僕が特に気に入ったのは壇れいと二人の子供たち、志田未来ちゃんと佐藤未来ちゃんの自然でいて巧みな演技。彼女たちを見るだけで思わず頬が緩む。

病院の場面は平成の今じゃないよ。勘違いしないでね。

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