映画評「スパイダーマン3」

☆☆★(5点/10点満点中)
2007年アメリカ映画 監督サム・ライミ
ネタバレあり

周囲の女性陣に相当好評なのでやりにくくて仕方がないが、恐惶謹言、こわごわ申し上げつかまつる(笑)。

実はお話には前日観たSFコメディー「大帝の剣」と相当似た部分がある。共に液体状の宇宙生物が取りついた人間の闇の部分を抉り出し、力を倍増させるのだ。言わば「ジキル博士とハイド氏」である。

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僕はこのシリーズを第1作から余り買っていない。
 世間の好評の所以は、スーパーヒーローものに青春映画の要素が加わり素晴らしい・・・といったところらしいが、ジャンル映画は二兎追うべからず。二兎追う者は一兎をも得ないのは世の習いで、本シリーズとて決して例外ではない。
 最初の一兎が主人公のヒーローとしての大活躍であるなら、もう一兎である青春模様は「スーパーマン」の恋愛模様程度、即ちアクセント程度に留めないと方向の違うベクトルが足を引っ張り合うことになる。
 今から考えると第1作は辛うじてバランスを保てていたと言えないことはないものの、この第3作は人が一方に偏って乗り過ぎた為に転覆してしまった船の如し。

さてお話。
 スパイダーマンとして町の人気者になったピーター君(トビー・マグワイア)は些か調子に乗りすぎて慢心、ブロードウェイの舞台に上がったものの不評で解雇された恋人MJ(キルステン・ダンスト)が傷心しているとも知らずに、人前でキスまでして彼女の顰蹙を買い、今度は自分が傷ついてその挙句に宇宙からの落下した謎の生命体に取りつかれて邪悪な部分を見せていく。

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冒険場面を全く除いて青春映画にしたら標準を軽くクリアするだろうと思うほど脚本はこちらに力を注いでいる。少数派の不評グループの意見は【冗長】に収斂していくようだが、青春模様を見に行ったのならともかく、SFアクションとして観ようとすればこの認識はむべなるかな。

かかるバランスの問題を無視しても、スーパーヒーローものとして益々いけないのがめそめそした各キャラクターである。主人公ピーター君の悩みと善悪の葛藤はアングルとして認めていいが、その他はこれではいけません。
 砂男(トーマス・ヘイデン・チャーチ)はピーター君の叔父殺しは事故だったのだと不運と犯罪者故に娘に会えぬ不幸を嘆き、ピーター君に真相を暴かれて追放されたフリーの写真家はスパイダーマンから逃げた謎の生命体に憑かれて復讐鬼となる。彼の元親友ハリー君(ジェームズ・フランコ)も父親の死をスパイダーマンのせいと恨んでいる。

要は、敵であるべき人間が余りに人間的すぎて気勢が上がらず、終わった後もすっきりしないのだ。古色蒼然の勧善懲悪ものにしろなどとは言わないが、スーパーヒーローにはやはり心の底から爽快になるようなものを期待するのが人情ではあるまいか。
 映画作家の諸君には映画には古来色々なジャンルがあるのを忘れて貰っては困る。例えば本作のようにSFアクションに本格ドラマ的な苦悩を持ち込めば一見ジャンル映画の可能性が広がると思われるだろうが、実際には映画のタイプを縮小させていく。今は良くても、長い目で見れば、これは映画ファンにとって不都合なことと言わねばならない。

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現在一度名を成した映画作家が単純な映画を作りたがらないのは、観客が批判するからである。そこで(作り方を迷路のように複雑にして観客を煙に巻くか)若い人に大人気のメッセージとやらを持ち込み強調する。
 しかし、高級な主題や上等なメッセージのある作品が良い映画なのではない。ちょっと考えれば解るはずだが、それらは、あくまで取り扱っている主題が高級であり、放っているメッセージが上等なだけであって、高級な映画でも上等な映画でもない。見せたいこと言いたいことをきちんとバランス良く的確に表現できている作品が上等なのである。スーパーヒーローが悪党をやっつけるだけで良いではないか。後はいかに面白く見せるかに作者は専心すれば良いわけだ。

従って、僕なら青春映画部分を三分の一程度に縮小し、敵の二組(ハリー君は色々複雑だから現状維持)をもう少し悪役らしくして再構成する。そうすれば100分程度のぐっと見通しの良いジャンル映画になるはずである。

野球を見に行ってサッカーを見せられたが如し。

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