映画評「007/ドクター・ノオ」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1962年イギリス映画 監督テレンス・ヤング
ネタバレあり

最新第21作「カジノ・ロワイヤル」の007ことジェームズ・ボンド即ちダニエル・クレイグの色気不足と作品のリアル志向に寂しさを覚えたので、気分直しに旧作を見てやろうとライブラリーから第一作を取り出した。

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最新作はリアル志向と言っても見せ場は派手で、46年前の本作など今となれば至って地味に映るが、当時はこれでもそれまでのスパイ映画では見られない派手な場面満載であったのだ。
 007に扮するのは勿論本作が出世作となったショーン・コネリーで、知的な性的魅力とウィットとユーモアで我々を虜にする。これが貧相であれば女性がメロメロになるはずもないので、正にうってつけと言うべし。これが歴史の始まりだったのだ。
 とりあえず簡単にお話をば。

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ジャマイカの英国情報部支局長と秘書が襲撃されて死体が運ばれる。支局長はロケットの弾道を狂わす電波の発信源を突き止める為に釣り人を装って捜査をしていたのだが、その発信源である謎の中国人ドクター・ノオ(ジョゼフ・ワイズマン)一味の仕業である。
 まずこの一幕が強烈な印象を残す。タイトルから続く杖を突いて歩く盲人三名が暗殺者に早代わり、有無を言わせぬドライなタッチが秀逸。

そこで007が派遣され、局長の協力者だった現地人と事件を調査をするうち知り合ったアメリカ人美女(ウルスラ・アンドレス)と彼の秘密基地に拉致されてしまう。いかにボンドは危機を脱出するのでありましょうか。
 基地のセットは当時としてもお安く些か子供向け作品みたいな感じだが、SF的な設定には燃料棒といった用語から判断する限り科学的な裏付けが十分あるようである。

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さて、英国にはスパイ小説、スパイ映画の伝統があるが、そもそもスパイ映画はそれほど派手なものではない。講談と言われるヒッチコックのスパイ映画でさえ地道なサスペンスの積み重ねで面白くなっているのであり、華美な見せ場という点でハリウッドのスペクタクル映画に対抗できるべくもなかった。
 そこへ、ハードボイルド小説のクールさと冒険映画の血湧き肉躍る要素を持ち併せた007がまず小説で、そして映画として登場した。この後全世界を巻き込む未曾有のスパイ・アクション・ブームが興ったのは必然であったわけである。

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しかし、主演のコネリーの魅力、断裁的な殺人描写があるかと思えばのんびりした観光ムードもあり、といった具合に色彩の変化を見事に付けた監督テレンス・ヤングのセンスなしに、模倣作品があれほど世に溢れることもなかったと思う。
 SFXが充実し、CGが生まれた時代が80年代、アクション映画をリードしてきた「007」が模倣に走り出した、少なくともそう見えたことに僕は些か寂しさを覚えたが、それは他の作品が冷戦を巡るスパイ合戦に明け暮れていた時代に専らテロリストを敵(かたき)役に描く【先見の明】の裏返しであったのだ。

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「007」シリーズと言えば、ボンド・ガールである。第21作はボンドが本気で恋をしなくなった原因を描いていたが、ボンドのかりそめの恋はスパイ映画の中でのアクセントとして重要な位置を占めている。初代ボンド・ガール、ウルスラ・アンドレスは好みではないが、スケールが大きくてなかなか結構。

その他、ボンドの上司Mのユーモア、Qの繰り出す新兵器、Mの秘書マネーペニー、女性の体をフィーチャーした色っぽいタイトルバックといったルーティンが既に全て揃っている。
 一つだけ足りないのがタイトルオープニング・タイトルに被さる主題歌で、これが実現するのは第3作「ゴールドフィンガー」から。本作のタイトルに被せられた歌はとても主題歌とは言えず、劇中3つのパターンで聞けるカリプソ「マンゴーの木の下で」が本当の主題歌。シリーズの中の隠れた名曲であります。

ボンド・ガールと言いながら、恋に全く粘りがないのはこれ如何に。

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