映画評「善き人のためのソナタ」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
2006年ドイツ映画 監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
ネタバレあり

2006年度のアカデミー外国語映画賞を受賞したドイツ映画であるが、アカデミー会員の今回の選択は全く正しいと思わせる傑作である。しかも、これは長い名前の新人監督の映画大学卒業作品というのだから、【端倪すべからざる才能】とは彼の為にある言葉と言いたい。

東西の壁が崩れる5年前の東ドイツ、劇作家セバスチャン・コッホと恋人である有名女優マルティナ・ゲディックの監視を始めた国家保安省の指導教官ウルリッヒ・ミューエは、盗聴器を仕掛けた彼の部屋から聞こえてくる二人の会話や愛情交換風景に心理の変調を来し、東独が断トツに多い自殺数を公表しない国家であるとの告発記事を執筆するコッホの行為にも目もつぶるが、麻薬で逮捕されたマルティナのコッホを密告したことにより手紙分別係に左遷させられてしまう。

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というのが梗概であるが、アウトラインだけでは何も伝わらないので、もう少し細かく行きましょう。

雑誌のストーリー紹介などでは、任務に忠実であるはずの彼の変節の原因が「善き人のためのソナタ」の演奏を聴いたことのように書かれているが、そんな単純なものではないだろう。
 最初に彼の心を動かしたのは芸術家二人の細やかな愛情交換であり、マルティナに手を出す大臣や立身出世しか考えない上司の不真面目な態度である。

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そうした閉塞感の中、全てに誠実な余り一人浮かび上がりコールガールを呼んで孤独を解消するしかない彼が、実は国家のことなど真面目に考えもしない上司たちと芸術に生きる男女のどちらを選ぶかで悩んでロープの上をふらふら歩いているところに吹く一陣の風がブレヒトの詩集であり、ソナタであったのである。彼を変節させたのは彼自身の誠実さだと思う。

コッホは党上層部を利用して女優の地位を保とうとする彼女に同情しながらも批判し、か弱き女性がそうせざるを得ない現状を告発により打破していきたいと望む。それに同調するのは他ならぬミューエで、酒場で偶然出会った女優に「元のあなたはもっと輝いていた(政治を利用する前に戻れ)」と指摘、ハッとさせられた彼女はその足でコッホの許に戻る。

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これが全員の順風満帆の将来を約束するはずだったが、大臣が心を許さない女優の芸術的抹殺を決め逮捕に向かわせたことから、自分の将来を顧みず劇作家の有罪を決める証拠を隠滅した指導教官の努力は無に帰してしまう。恋人を破滅させたと思い込んだマルティナが車の前に飛び出して死んでしまうのである。
 自分の行動から悲劇が生じたことにやりきれない思いを抱いたであろう劇作家と同じように、力が及ばなかった指導教官の悲しみはいかばかりであったか想像するだに胸がつまる。

そうした彼の一連の心理がペースを乱さない観照的な描写のうちに綴られ、感嘆の上に感嘆を重ねるのみ。終盤の展開に感動を覚えるのもやはりこの前段で指導教官の心理が過不足なく描かれているからである。
 東西統一後指導教官の善意を知った作家が彼について著した本を彼自身が「僕の為の本だ」といって清々しい表情で買う幕切れには感極まる。
 僕にはドイツ語が解らないので正確なところは分らないが、「僕の為の本だ」の本来の意味は「包装しますか」という質問に対する答えであるから「僕自身が読む本だ」の意味のはずである。それを「僕のことを書いた本だ」と理解するのは鑑賞者が背景を知っているからで、このシンプルな台詞にも含みがあり大いに気に入った。

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告発ものとして密告社会の恐怖を味わうこともできるが、サスペンスより映像への心理の沈潜を軸とした描き方を見れば、思いようによっては滑稽千万に映る密告社会の告発よりも人間性の普遍にこそ作者の思いがあるはずであり、それが我々の胸を打つのである。

先般惜しくも亡くなってしまったというミューエは圧倒的な好演。

監督の名前は長くて舌が回りませんが、監督の演出に舌足らずのところはありません。

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