映画評「佐賀のがばいばあちゃん」

☆☆★(5点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・倉内均
ネタバレあり

漫才師の島田洋七が自身の少年時代を綴ったベストセラーの映画化。「ALWAYS三丁目の夕日」もそうだが、時代を懐かしむより今では薄くなった人情にほだされたい作品である。

水商売の母(工藤夕貴)と兄と広島に暮らす明広少年(池田壮磨⇒池田晃信⇒鈴木祐真)は小学校2年生の時に将来を心配した母により、佐賀にいる祖母(吉行和子)の許へ送られ中学3年生までそこで過ごすことになる。
 相当な貧乏家庭で、徹底した倹約術を叩きこまれるが、母親は結局中学3年のマラソン大会まで一度も姿を見せない。

昭和33年から39年までを描いているので正に昭和30年代を切り取った作品と言って良いが、不満がある。校舎である。当時のものとしては些か奇麗過ぎはしないか。
 僕らの小学校は昭和40年、中学は昭和48年、高校は昭和52年まで築半世紀以上の木造で、各所に穴が開いているような老朽校舎だった。昭和30年代なら群馬の公立学校はほぼ木造のおんぼろだったと断言できる。実際に奇麗だったとしても、若い人に見て貰うならもっと老朽していて丁度良い。住居も我が家のほうが数段ひどい。何しろ風が吹き抜けた。

それ以上に気に入らないのは、昼間磁石を引きながら歩いているような貧乏ばあちゃんにしては吉行和子の顔の色が白すぎること。明広少年が日に焼けた顔で横で眠っているから余計に目立ってしまう。

剣道も柔道も用具に金が掛かるから「裸足で走れ」と言うのは倹約の為だが、英語のテストでは「日本語だけで生きていく、と書け」、歴史では「過去には拘りません、と書け」となかなか洒落たことを言う婆ちゃんで、父親について書けと言われた宿題の作文では「分らん、と書け」と指示する。それに100点を付ける教師もなかなか結構。
 腹が痛いからと弁当を取り換える先生や、豆腐を壊して半値で売る豆腐屋のおじさん(緒形拳)の人情も良いが、こうした人情はこの時代では当たり前だったので描き方としては面白味があると言いにくい。その辺りを工夫して物語に巧く溶け込ませたのが前出の「ALWAYS三丁目の夕日」で、映画的には段違いである。

現在の明広(三宅裕司)が少年時代の彼とすれ違う細工も形式だけに終わっている。

やばいばあちゃんでなくて良かったね。

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