映画評「日本沈没」(2006年版)

☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・樋口真嗣
ネタバレあり

小松左京の同名小説は1973年から74年にかけて映画化及び長編TVシリーズ化されて大変楽しんだ記憶がある。特に映画版はCGのない時代に、SFXによる見どころ満載であった。
 同時に、近年リメイクが多くなった理由の一つとしてCGという存在があるということを改めて証明するのが本作のような作品である。それにしても最近のスペクタクルは海が多いねえ。

20XX年、焼津で大地震が発生、深海潜水艇オペレーターの小野寺(草彅剛)が少女(福田麻由子)を救おうとした時、レスキュー隊の女性隊員(柴咲コウ)が颯爽と現れ救助する。

というのが発端で、主人公・小野寺を巡る人物関係を一通り説明し、いよいよ本番。

その後総理大臣(石坂浩二)は研究者の【プレート陥没に伴なう日本沈没説】を耳を傾けるが、他の要人が信用しなかった為に後手に回り、首相の噴火に伴なう飛行機墜落死の後国民の半数近くは海外脱出を認められるものの、残った人々は国と共に沈む運命、そこで研究所の田所博士(豊川悦司)がプレートを爆破することで日本全てが沈没するのを回避しようと図り、元の妻で危機管理担当大臣(大地真央)の協力を得て海底探査船を調達、小野寺が最後の役目を負って海底に潜って行く。

酷評が目立つが、映画が人間ドラマではなくスペクタクルを見せる為に存在した映画黎明期の観客のように、VFXの出来が極めて優秀と言うべき災害場面に素直に目を見張れば良く、名所名跡・寺社楼閣の数々の悲惨な姿を見て一種の感慨を覚えないのは勿体ない。10年以上前からCGは災害に向いていると主張してきたが、持論を証明してくれたように思う。VFXの出来栄えにおいて樋口真嗣の前作「ローレライ」に比べると雲泥の差である。
 本質的にパニック映画に優れた人間ドラマを求めるのは【木によって魚を求む】愚と言うべし。

ただ、苦言も呈さねばならない。
 「Limit of love 海猿」のようにロマンスとパニックの両立を前提(実際に両立できるかは別問題)とした構成をしていないのに中途半端なところで歌付きの愁嘆場を付けるのは言語道断で、元々良いとは言えないドラマ的な流れが完全に寸断されてしまう。こういうところを見ても「ローレライ」同様樋口監督は映画的感性に大いに問題あり。
 終盤、ハイライトであるはずの海底場面は今一つ盛り上がりを欠く。その前の地震の惨状に鑑賞者が肝を潰されてしまったのを考慮しても工夫が足りないと言わねばならない。

脚本レベルでは、国の至るところが沈没している時に「50年後に沈没することを国民は信じていない」といった理解に苦しむ台詞もあり、海外脱出場面の緊迫感のなさを含め、展開に隙間が多い。

といった具合で、既にお解かりの様に、☆の殆どはVFXによる見せ場に進呈する次第。

30年経ったら田所博士、年をとるどころか若返ちゃった(オリジナルでは当時50歳の小林桂樹が演じた)。

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