映画評「笑の大学」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2004年日本映画 監督・星護
ネタバレあり

昨年公開の「THE有頂天ホテル」もなかなか面白かった三谷幸喜が演出しないで自作の脚色のみに徹した舞台劇の映画化。非常に面白かったが、他の人とは少し違う理由である。

昭和15年、というから欧州では戦争が既に始まり日本にも暗雲垂れ込め、思想の取締が一層厳しくなった頃が舞台である。

劇団<笑の大学>の台本及び演出担当の稲垣吾郎が検閲官の役所広司に新作パロディー「ジュリオとロミエット」を検閲してもらうが、外国が舞台であるので、舞台を日本、登場人物を日本人に変えればOKと言われる。
 翌日その通り変えると今度は「お国の為に」を入れろと言われ、何やかやあった挙句に「警官の出番を作れ」という言葉を実行、検閲官自らアイデアを出して7日目に許可が下りかかる。

まず、ここまでを第一部と考えるが、大変興味深い。
 役所広司扮する笑ったことがないという検閲官の言葉を通して、三谷が演劇論、演劇と映画に共通する芸術論を語っているように感じたのである。一々挙げないが、相当正論を言っているように思う。それを演出家でもなく批評家でもなく、笑いもせず喜劇など観たこともないという堅物が淡々と言うから皮肉な面白さが醸し出されるのである。

画像

舞台劇の要素をこれだけ残すものを映画化する必要があるのかと言えば大いにあると言いたい。
 一つには舞台を見られない地区が日本にはまだ多いという環境的理由である。
 もう一つは芸術的理由で、屋外の場面については長廻しの移動撮影(上の画像参照)という映画的手法に徹底し、室内についてはかなり舞台的ではあるものの同時に切り返し(下の画像参照)やパンやズームなど映画的手法も取り入れていることが演劇と映画の比較論と解釈できるような気がするのである。三谷本人が監督をすればもっと明確になったかもしれない。

画像

これが満更見当違いではないだろうと感じさせるのが、第2部の始まりを成す劇作家が国への対決姿勢を表白する場面をロングの固定カメラ(下の画像参照)で撮ってかっちり舞台的に仕立てていることである。

画像

お話はこの表白から急転、検閲官が激怒して「笑いのない喜劇を書け」とかぐや姫みたいな無理難題を吹っかけると、作家は案に反して可笑しい喜劇を書いて来る。その理由は赤紙が届いたからである。凛として帰って行く作家に対して情を動かされた検閲官は「お国の為に死ぬなどとは言うな」と叫ぶ。

この幕切れを嘘っぽいと言う人がいるが、作者たちが本当らしく作ろうとしていないのだから全く見当違い。舞台臭をわざわざ残したのは現実感を抑えようという狙いの為であるということを理解していないのだ。寓話なのである。

また、「お国の為に」を入れろという要求に対する作家の対案は素人の僕が即座に考えたことと全く同じだから面白味があるとは言えないのだが、これも実は三谷の洒落っ気と言うべきで、その<面白くないところ>が面白いわけである。これも芸術論ですな。

といった次第で、権力風刺劇としての面白さも捨て難いが、二人の対話という形での芸術論が大いに楽しめた。

"映画評「笑の大学」" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント