映画評「剣鬼」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・三隅研次
ネタバレあり

柴田練三郎の「人斬り斑平」を三隅研次が映画化した時代劇。「剣」シリーズ第3作。

藩主正室の侍女の息子に生まれ「犬の子」と蔑まれながら田園地帯で祖父に育て上げられた斑平(市川雷蔵)は、正気を失いつつあった現藩主に花を育てる才能を見込まれ登用され、さらに足の速さが気に入られて出世、居合いの達人から術を盗む。
 現体制維持を目論む若い重臣(佐藤慶)は彼の韋駄天走りと居合いの実力に目を付け、お家断絶を図る脱藩者や公儀隠密を次々と暗殺させる。

その合間に若者らしく娘(姿美千子)との淡い恋模様を挟んで展開するのだが、三隅監督の場合は話より美しい構図に息を呑ませるスタイリッシュなタッチが持ち味なのでそちらに注目したい。
 彼はたまにズームを使うくらいで、走る場面の移動撮影以外は固定カメラが基本だが、これが美しい。「剣」シリーズ第一作の「斬る」でも見られた画面の半分を人物で覆わせるといった構図の美しさである。

ロングショットとクロースアップの組合せにも最近の監督では見られない面白さがある。例えば、ロングショットで居合いの達人が観客から遠く右側に位置し、斑平が近く左側に位置している。続く二人の顔を交互に捉えるクロースアップでも彼らの立ち位置の関係を明確に維持している。つまり、達人の顔はやはり画面の右の位置にあって右側から捉えられ、斑平はその逆である(所謂イマジナリー・ライン)。今の監督ならここを正面で撮るだろう。こうしたカメラワークの積み重ねは最終的には展開の解り易さに繋がっていくことにもなる。

もう一つ印象的なのは、恋人たちが河原を花で満たすことを夢見て一旦は実現するのだが、その河原が最後に死体に埋め尽くされる、という凄惨美である。死体の花が咲くのでは洒落にもならないが、観客の心は武士道の空しさに埋め尽くされる。

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