映画評「明日の記憶」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・堤幸彦
ネタバレあり

最近は記憶障害にまつわる映画が数多く作られているが、先日観た「私の頭の中の消しゴム」と同様若年性アルツハイマーを扱ったドラマである。原作は荻原浩のベストセラー小説。

広告会社の敏腕部長だった渡辺謙49歳。新しい企画は上手く行き、娘が間もなく出来ちゃった結婚をすることになり幸福の絶頂だが、その頃からアポイントを忘れたり奇妙な出来事が続く。妻・樋口可南子の勧めに従って調べて貰うとアルツハイマーであると告げられショックを受け、やがてよく知っていたビルにも行けなくなり、遂に会社を辞めることになる。

「ケイゾク」「トリック」などオフビートな作品を作ってきた堤幸彦としては極めてオーソドックスな作品と言えるが、ジャンプカットの多用でムードを殺ぐ部分がある他は堂々と作っている。

「私の…」がメロドラマめいた作りだったのに対し、こちらはもっと現実的なアプローチをもって本人と家族の苦闘を描いている。従って、家族がそうなった時参考になりそうな具体性があるだけでなく、人の尊厳ということを考える時もっと切実な思いを抱かざるを得ない。
 一方で、実際はもっと壮絶であるといった比較は映画を語る時にそれほど意味があるものではない。この種の映画は・・・少なくとも本作は・・・闘病そのものではなく、夫婦の絆を描くことにより人間そのものを見つめることが眼目であるからだ。

題名の由来があるのではないかと思われる終盤について少し語りたい。
 二人は結婚前に陶芸を学んでいた。発病後主人公は脳への刺激の為に近くの陶芸学校に通って器をこねる。妻の名前を入れた器は上出来で、妻が持っていたパンフレットの施設を訪れた足で、修行の記憶の残る山に器を持って入って行く。かつての先生(大滝秀治)も呆けていた。翌朝焼きあがった器を持って山を下り、迎えに来た妻と出会う。彼は妻を認識出来ず、まるで今初めて会ったような口を利く。
 ここで僕はそれまで観た場面が過去の出来事ではなく、二人が出会った以降の未来を描いてきたような錯覚を抱いた。<明日の記憶>には、妻に記憶を委ねるという意味があるのだろう。器に残された妻の名前こそ<明日の記憶>なのかもしれない。
 夫が自分を認識できなくなったことを知った妻の反応は瞬時捉えられただけで、すぐに橋を渡る二人を捉えるロングショットになる。映画作者は配偶者に完全に呆けられた妻の切なさと決意を観客の想像力に委ね、映画を終えるのである。余韻を湛えた素晴らしい幕切れと言うべし。

"映画評「明日の記憶」" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント