映画評「イノセント」

☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1975年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり

ルキノ・ヴィスコンティの遺作であり、お気に入りの作品なので、今回のNHKの特集に入っていなかったのは残念。イタリアの文豪ガブリエーレ・ダヌンツィオが1892年に発表した長編「罪なき者」の映画化である。

フェンシング練習場と音楽会・オークション会場に通うこと以外に為すこともないトゥリオ伯爵(ジャンカルロ・ジャンニーニ)が公爵の未亡人テレーザ(ジェニファー・オニール)にうつつを抜かしている間に、貞淑な妻ジュリアーナ(ラウラ・アントネッリ)が介抱してくれた作家フィリポ(マルク・ポレル)と親密になる。
 テレーザがパリへ行っている間焦りを覚えた彼は実家で妻と過ごすが、母親の言葉から彼女が密通の子を妊娠していることを知り打ちのめされ、やがて生まれてきた子供を雪の降る窓辺に置き凍死させるが、絶望した妻が修道院に去った後、ピストル自殺して果てる。

軽薄な無神論者であるくせに自尊心だけは一人前の伯爵がテレーザの前で格好良く死んだつもりが、愛人は身辺を確認してそそくさと出ていき、その後ろ姿が遠のいたところでストップモーション・・・という幕切れが僕の琴線を打ち唸りっぱなしだったのを昨日のことのように憶えている。断裁的で酷烈なこのラスト・シーンは何度観ても見事である。
 勿論映画というものは最後だけ良くても駄目で、例によって完全主義ぶりを発揮した美術・衣装の豪華さで終始目を奪わせつつ、くっきりと鮮やかに自滅型人間像を描き上げた上に、幕切れでしめてみせた。さすがの手腕と言うべし。

主人公は、これまでヴィスコンティの描いてきた貴族像とは違い、貴族という階級に対する深い思いなどなくただエゴイズムに固まった男であり、落陽の時を迎えていた階級のシンボルを我知らずピエロの如く演じているのだ。
 この人物に扮したジャンニーニは73年にアラン・ドロン主演の「高校教師」で日本に本格紹介されかなり注目されたが、本作での演技は誠に充実している。

それ以上に素晴らしかったのはラウラ・アントネッリ。筆卸し青春映画「青い体験」で若い家政婦を好演したが、その実力が完全に花開き、僕を感銘させたものである。しかし、彼女は結局大成することなくお色気女優で終っている。

ジャンニーニと共に第二のアラン・ドロンと言われることもあったマルク・ポレルはこの後夭逝した。ジェニファー・オニールは「おもいでの夏」でスターダムに乗ったが、その後意外にぱっとせず、この作品が第二の代表作と目していいだろう。

因みに、「イノセント」は古代ユダヤ王ヘロデが惨殺した幼子を指しているらしい。カトリックの国においてミサというカトリック的な行事の為に家族が全て不在になった隙をついて、無神論者がヘロデのように幼子を殺す。正に象徴的ではあるまいか。

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