映画評「マタンゴ」

★(1点/10点満点中)
1963年日本映画 監督・本多猪四郎
ネタバレあり

15年ほど前の古い短い鑑賞メモしかないので、余談を先にしておこう。

8月に「吸血鬼ゴケミドロ」という松竹の珍作をレビューした。この作品はクェンティン・タランティーノのお気に入りということで、俄然注目を浴びたらしいが、出来栄えはお粗末で、僕は★一つしか進呈できなかった。
 つまらなかったのか。ノーである。滅多に観られない面白さと言っても良い。しかし、その面白さ、いや可笑しさは大真面目な作者が狙ったものとは180度違うから★一つしか進呈できなかったのである。

コメディーの傑作であると仰る方がいた。オー・マイ・ゴッド! あの作品が作られた1968年は「2001年宇宙の旅」が公開され、SF映画が初めて一般映画として認知された年。一つのジャンルが喜劇化・パロディー化されるのは既にそれが市民権を得ていることが必要条件であり、本格的なSFコメディーが発表されるまでにはまだ暫しの時間を必要としていたはずである。
 かの作品が今笑えてしまうのは、それだけ当時の日本人の感性が極めて純情、ストレートであったことの裏返しである。その年に確かTV「巨人の星」が始まったと思うが、当時我々は真剣に観たものである。ところが、現在あのアニメは眼から炎が発するなどのナンセンスにより笑いの対象になっていることを一例として挙げたい。

それではカリカチュアではないだろうか、という反論を受けた。風刺はしているが、正確にはカリカチュアとは言えない。フィルモグラフィーを見ても作者(脚本家・高久進)にそれほどの洒落っ気があったとは全く考えられず、明らかにSF映画伝統の、付け焼刃のメッセージをまぶしただけの何ということもない作品だったと言うべきである。
 「2001年宇宙の旅」が出る前のSF映画は明らかにB級映画即ちプログラム・ピクチャー、要は二本立て、三本立て公開を前提にした廉価品だった(一部例外あり)。作者たちは少しでも高級感を出そうと、反戦、環境問題を直截に盛り込んだが、観る人が観れば却って低俗な印象しか持ち得ない。「吸血鬼ゴケミドロ」もその例に洩れず、懸命に反戦を訴えているが、評価を下げることにしか貢献していない。悪名高きエド・ウッドの「プラン9・フロム・アウター・スペース」も意気軒昂に人類の好戦を批判しておりましたよ。
 それでは、1991年に僕が書いた「マタンゴ」評に行きましょう。

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台風に遭遇して南海の孤島に漂着した7人の男女(久保明、水野久美、小泉博ら)が飢餓に耐えかねて、放射能を浴びたキノコのマタンゴを食べた為にキノコの怪物に変身してしまう。

ちょっと風刺を込めた作品で、近年の「リバイアサン」と似た設定である。日本のSF恐怖映画作家にかなり影響を与えた作品らしいが、メイクを含めて誠にお安い出来で、なおかつ、登場人物の諸氏諸嬢がエゴをぶつけ合うという、定石的で退屈千万な場面が続くていたらく。
 星新一、福島正実(共同原案者、原作の原作はウィリアム・ホープ・ホジスンの有名な「夜の声」)らしいユーモアもない。全くがっかりしたデス。

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「ゴケミドロ」が反戦、東宝の「マタンゴ」は同社の秀作「ゴジラ」同様放射能の恐怖をメッセージとして抱えたわけで、それを除けば似たり寄ったりだが、デタラメ度が高い「ゴケミドロ」のほうが今観る分には面白いだろうとは思う。

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