映画評「祇園の姉妹」

☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1936年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり

浪華悲歌(エレジー)」と並ぶ溝口健二戦前の代表作である。脚本は「浪華悲歌」以降殆ど全ての溝口作品の脚本・脚色を担当した依田義賢。

京都の祇園、梅吉(梅村春子)とおもちゃ(山田五十鈴)は芸者で生計を立てている姉妹。梅吉のお世話になった旦那(志賀廻家弁慶)が破産して同居を始めるが、古風な姉と違って男を食い物しようとしたたかに生きているおもちゃは「姉が嫌がっている」と嘘をつき金を渡して追い払う。
 そんな彼女も、手玉に取った番頭から車から突き落とされて重傷を負い、絶望的な叫びを上げるしかない。

溝口はリアリズムの監督であると映画評「雪夫人絵図」の中で述べたが、単なるリアリズムに留まらず、観照的な手法で抉り出される溝口流の現実は実際のそれより深く暗い海のような絶望的な印象を抱かせさえもする。

客観性を維持する為に撮影はヒロインが車に乗っている場面以外クロースアップを殆ど使わず、溝口は演技指導を含めてハードボイルドと言っても良い冷徹なタッチを維持しているが、それが崩れるのはラスト・シーン。おもちゃは叫ぶのだ、「なんであてらはこないいじめられんならんのや。なんで芸者みたいな商売がこの世にあるんや」と。
 映画としては感情が静から動へ変った瞬間であり、その前彼女の気持ちが微動だにしていないだけに、大きなうねりとなって我々の心に響く。
 厳密に言えば、トーンが統一できていないだけでなく、メッセージが表面に出すぎ、破綻した演出であるが、溝口が現場で依田の脚本を変えたと言われている。芸術的に完璧であるものが必ずしも最高の感動を与えるとは限らない。その意味で僕はこの幕切れで正しかったのだと思う。

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