映画評「吸血鬼ゴケミドロ」

★(1点/10点満点中)
1968年日本映画 監督・佐藤肇
ネタバレあり

知る人ぞ知る松竹のSF映画だが、B級時代のSF映画の欠点が全編に覆っている珍作である。

国内線が羽田を発って暫くしてハイジャックに遭い方角を変えるが、その直後に謎の光帯を浴びて飛行機が火山島のような場所に墜落、辛うじて大破を免れる。無線が暗殺犯・高英男(「雪の降る街を」で有名な歌手)により壊され孤立無援になり、数人の生存者がエゴむき出しに意味のない葛藤を繰り返し、その間に吸血性の地球外生物に体を乗っ取られた高が次々と乗客の生き血を吸って殺していく。

この時代のSF映画の欠点とは何か。
 弱体の物語と薄っぺらな撮影と魅力ない役者の演技を補うべく、おためごかしのテーマを提示することである。作者の意図に反し、ものものしいテーマを掲げれば掲げるほど映画は安っぽく見えてくる。この作品でも白人女性が「戦争は嫌だ」と叫んでみたり、宇宙人が地球人が戦争ばかりしていて隙のある間に襲撃して皆殺しにするという説明があり<反戦>を主張しているつもりらしいのだが、勿論馬鹿馬鹿しさだけが際立つばかり。
 この類の映画の作者たちは全く知らなかったのだ、こんな空しい主張をする代りに純粋にサスペンスを作れば観客が満足することを。

さて、この作品より遥かに馬鹿げたつまらない映画は幾つも観たことがあるが、これだけ出鱈目な設定、展開が続く作品は滅多にない。例を挙げてみる。
 飛行機の中での発砲、死者が少なくないのに生存者は殆ど無傷である、孤立無援の状況で選挙を心配する議員、さっきまで「戦争は嫌だ」と言っていた白人女性が「死にたくない」と発砲する、吸血鬼を見る実験と称して一人を飛行機の外に出した直後に逃亡の為に議員らがわざわざ外に出る、自殺マニア(?)の若者が襲って来るエイリアンに爆弾を向けずに飛行機に向ける、等々。
 登場人物の頭の中を見たくなるような珍プレーの数々と言うべし。

地球人の阿呆さ加減に影響されたか、エイリアンまで馬鹿まる出しで、地球人を全滅すると鼻息が荒い癖に人間一人に乗り移って一人一人血を吸っていく非効率な殺戮を繰り返すのだから、こちらの知恵の無さも相当なものである。

火山地区を抜け出したら普通の日本の風景が目の前に現れたのはこちらも呆然。「猿の惑星」の幕切れとは違う呆然でありますよ。あの程度の距離に人家があるなら、飛行機に篭ってエゴのぶつけ合いなどせずにさっさと外に出て行けば良かったのにねえ。外には吸血エイリアンがいた? かなりのろまな宇宙人だから追いつけないでしょうよ。

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