映画評「模倣犯」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2002年日本映画 監督・森田芳光
ネタバレだらけ、未見の人読むべからず

宮部みゆきの同名原作はベストセラーということだが、映画を観る時に<百害あって一利なし>なので、原則的に戦後の文学は(映画を観る前には)読まないことにしている。

豆腐屋を営む山崎努が孫娘(伊東美咲)の失踪に遭う。捜査の進展のないまま10ヵ月後、連続女性殺人事件の一つとして女性の片腕とショルダーバッグが発見される。彼の孫娘のものだった。これが前半部分で、山崎努のナレーションを中心に進み、非常にミステリアスな展開で興味をそそる。

3分の1強を過ぎた頃から飲食店を営む藤井隆が登場して、作品はミステリーで言う倒叙型の展開に変る。些かまだるっこいし、サイト掲示板かチャットの書き込みが用いられすぎてうるさいが、この形而上的とも取れる羅列的な言葉の意味は無視したほうが良いだろう。無意味とは言わないまでも分りにくくなるだけである。

藤井は犯人ではなく、サイコな真犯人ピース(中居正広)とその相棒・津田寛治の二人に利用されていたことが判明。犯罪事件関係の女性記者・木村佳乃の夫を別荘に呼び出して殺害、その殺害犯として彼を利用したのである。その死体をトランクに詰めた車を津田が運転するが、車には細工がしており崖から落下する。車には藤井もこっそり乗り込んでいた為一石三鳥的に事件が進む。

その後中居はマスメディアを利用する露出作戦を敢行、コメンテーターとして事件を解説するまでに至る。以前の事件の繋がりで中居を疑い始めた女性記者はTVの討論番組で嘘の事件をでっちあげ彼をその模倣犯と罵倒する。計画的に自分が真犯人であることを告白した中居は自爆、その後彼の子供を山崎に託す幕切れは両義的で評価に迷うのだが、多くの方が言っていることは見当違いである(下記参照)。

この映画に対する世間の評価は異様に低い。バッシングと言って良いほどである。しかし、その評価の低さは的を射たものではない。

原作と映画版を比較するのは大いに結構であるが、<原作よりつまらないから映画として劣る>ということには100%ならない。それはあくまで原作との比較であり、映画としての評価にならないことなどは小学生でも分かろうというものだが、鬼の首でも取ったようにこきおろすのは一体どういう料簡だろうか。原作と比較してこき下ろしたい人は、映画を話す場所ではなく、小説あるいは宮部みゆきを語り合う場所で爆発させて戴きたいものである。

次に学芸会並みと評されることも多い中居正広の演技。恐らくは主にその台詞回しを指しているのだろうが、終始無表情を強制させられるような演技に名演の類は期待できるものではない。抜群とは言えないとしても、その限りでは十分合格範囲である。

訳が分らないという人も多いが、中盤の書き込みに惑わされなければさほど難解ではない。これはヒッチコックが「ロープ」で扱ったものと全く同一のテーマ、即ち、自分の天才性を完全犯罪という形で世に示そうとして結局失敗するという物語だが、「ロープ」にはなかった新味としてはマスコミへの露出がある。
 彼の生い立ちなどは実際にはヒッチコックの言うマクガフィン(無意味な仕掛け)に過ぎない。原作者の意図はいざ知らず、映画版ではその程度の扱いであるし、(ジャンルによって異なるが)社会性の有無など映画の評価に基本的に関係がない。

最後の爆破がちゃちという人もいる。しかし、監督の森田芳光がここをハリウッド映画のようにリアルで迫力満点に作る気など毛頭もなかったことは、彼の死体の残骸が黒い紙切れのようにゆっくり舞っていることを見れば容易に分ろうというものである。体が爆発すれば血と肉片だらけになり、とてもではないが映画的な映像にはならないという判断ではないか。
 但し、監督の意図はともかく、笑いを誘ってしまうので、この場面は失敗に帰したようである。

最後に山崎努の元に赤ん坊が届けられるラスト・シーンの意味。
 かなり両義的なものであるが、一つは、死んだ後も老人を苦しめようという主人公・ピースの悪魔的な魂胆を示す。
 もう一つは僕の勝手な解釈だが、森田芳光の観客との知能合戦である。「(一見)安直な幕切れはTVの長編ミステリーへの強烈な皮肉なのだが、それが分るかな」といった程度の。多分殆どの人が負けた。

「話題性(原作及び中居正広の出演)に乗じた駄作」と評した人がいるが、僕はこう言いたい、「話題性に乗じて悪口の言い放題」と。恐らく原作が無名で中居が出演しなければ、これほど酷評されることはなかったであろう。

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