映画評「フリー・ガイ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年アメリカ映画 監督ショーン・レヴィ
ネタバレあり

ふーん、なるほど。必ずしも内容そのものではないので誤解しないで戴きたいのだが、僕のお気に入りの二作「主人公は僕だった」(2006年)と「“アイデンティティ”」(2003年)の着想を合わせたような作品である。梗概の中で説明しましょう。

ごく当たり前のように凶悪犯罪が起こる世界に暮らす銀行員のガイ(ライアン・レイノルズ)が、理想的な美人モロトフ・ガール(ジョディ・カマー)にときめいたことから自意識に目覚めた結果、自分が “フリー・シティ” というオンラインゲームの中の殺され役と知らされる。
 これが主人公が小説の登場人物と気づく「主人公は僕だった」に似た着想ということである。こちらに関しては同工異曲と言って良いかもしれない。

続いて、ゲームの外の現実世界では、モロトフ・ガールのモデルであるゲーム・クリエイターのミリー(ジョディ二役)とクレイム対応係キーズ(ジョー・キーリー)が、社長アントワン(タイカ・ワイティティ)がプログラムを盗んでまがいものの “フリー・シティ2” を発売しようとしている為、その証拠となる “フリー・シティ”に仕込んだプログラムをゲットしようとゲームの中の人物を動かそうとするが、アントワンは色々と策を繰り出して阻止しようとする。
 こちらが「“ アイデンティティ” 」の着想に似ていると思うもの。仮想現実の出来事が現実世界に影響を与えるという共通点があるのだ

秀作二本のアイデアを合体させた(作者側にその意識があったかどうかは知らない)からと言って、それ以上の秀作となるわけではない。現実世界との関係がないからこそ神たる作者との関係において形而上学的に思惟したくなる「主人公は僕だった」ほど深み・面白味は出て来ないし、「 “アイデンティティ” 」ほど手に汗を握らせる強烈なサスペンスはない。ショーン・レヴィが監督をしているので狙いはファミリー向けであろうから、当然の結果でもある。

ゲームをする人がコントロールできるキャラクターをプレイヤー、そうでない登場人物をモブキャラと言う。僕のように、パソコンでトランプ・ゲーム以外したことがない老人は、皮膚感覚的に理解しかねるところがあり、それが個人的に弱いと言えば弱い。但し、難しい設定ではないので頭の中では理解できる。

昨日は23時間ネットが使えず、不便を被った。ネットを使ってゲームはしないが、YouTubeの音楽源はなくてはならない。日本のものはごく一部だが、洋楽では聴けないものがないというくらいある。しかも僕は金をかけないで聴く。2010年を挟んで5年間くらいで都合1000枚くらいのアルバムを輸入盤で買ったが、このうち99%はYouTubeでまかなえたのだ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント