映画評「アナと雪の女王2」(地上波放映版)

☆☆★(5点/10点満点中)
2019年アメリカ映画 監督クリス・バック、ジェニファー・リー
ネタバレあり

2014年に社会現象と言われるほど大ヒットしたディズニー・アニメの続編。今回は地上波放映版の吹き替えで観た。
 アニメだから原語版に拘る必要性は低いが、ミュージカルの日本語吹き替えは僕は余り良い感触を持っていない。本作などは日本語としてこなれているので、不満はさほどないものの、原語版で見たかったのが実際。
 本編ノーカットであるが、先日の「鬼滅の刃」と違ってエンディング・ロールは完全にカットされている(約10分)。

正編と違って、お話は相当書きにくい。

アレンデール王国の女王エルサが自分を呼ぶ歌声に気付いた頃、王国から火と水が消え、風と地震が襲う。女王は臣民を高台に避難させると、妹アナ、その恋人クリストフ、雪だるまのオラフ、トナカイのスヴェンと共に、声の呼ぶ魔法の森に向かう。そこで、閉じ込められた先王の兵隊と、アレンデールと敵対する民族ノーサルドルの人々と出会う。
 エルサは水(の精霊)の持つ記憶を辿って、祖父王がノーサルドラを乗っ取るためにダムを作ったことを知るが、その瞬間に凍り付いて身動きできなくなってしまう。別のところでオラフと行動していたアナは、エルサのテレパシーでその事実を知り、巨大な地の精霊を誘導してダムを壊させる。
 ダムによるアレンデールの被害も解き放たれたエルサの能力で食い止められ、アレンデールとノーサルドラとの和平も築かれる。そしてエルサは森の女王となり、アナがアレンデールの王位に就く。

風(気)や火や水や地の精霊という、欧州で古代から四大元素とされた要素が絡み、近代以降の伝奇小説群と重なるところが相当多い内容だが、観念的でターゲットがどこにあるか解りにくく、終盤になって漸く全体像が見えるような作り方である。やはりアニメという、比較的低年齢層を狙ったジャンルでは、事前に明確に示された着地点に向って直進するお話のほうが理想的であろう。

退屈という世評は(余りに観念的なお話なので)概ね正しいと思うが、その原因をテンポの遅さとするのは正しくない。こんな晦渋なお話のテンポをこれ以上速くしたら、誰もお話についていけなくなる。一般的に、本作に限らず、世間では退屈さとテンポの遅速を結びつける傾向があるが、退屈なのがテンポに関係ないことは結構多い。テンポが速すぎて退屈する例もある。
 本作が退屈なのは、焦点がはっきりするまで観念的に推移するからである。また、歌曲にも前作ほどキャッチーなものがない。

さて、ノーサルドラの人々はエスキモー(*下記参照)、アメリカン・インディアンに思われて仕方がない。多分本作には、白人によって先住民族が犠牲を強いられたというポリ・コレ的な着想があると思う。

*エスキモー(不当にも差別用語とされた)の代替用語としてイヌイットを使うのは不都合が多い。エスキモー=イヌイット+ユピクというのが概ね正しい理解だからである。

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