映画評「博士と狂人」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2019年イギリス=アメリカ=アイルランド=フランス=メキシコ=ベルギー合作映画 監督ファラド・サフィニア
ネタバレあり

英国版「舟を編む」である。この作品でも舟に喩えられているように、辞書作りとはそういうものなのだろう。「舟を編む」の作者三浦しおんも、本作で扱われるオックスフォード英語大辞典(OED)の実話を参考にしたのではないか。

19世紀中葉。オックスフォード大学で進行していた英語辞典の編纂に、スコットランド出身で独学というアウトサイダーのジェームズ・マレー(メル・ギブスン)が主任として参画することになるが、完全主義者の為に早々に行き詰まる。これを解決するのが、後に統合失調症(当時の用語としては精神分裂症)と判明するアメリカ出身の元軍医ウィリアム・マイナー(ショーン・ペン)である。

この辞書作りに関する流れが経糸(たていと)を成し、マイナーと彼に夫を殺されたエリザ・メレット(ナタリー・ドーマー)との間における罪と赦しと愛を描くお話が緯糸(よこいと)という感じ。辞書作りの苦闘という、謂わば無地のところに二人の心情の繊細な移り変わりが綾を成していくのである。

辞書作りのディテイルは「舟を編む」のほうが面白いくらいだが、最初から一貫して流れるキリスト教的精神が、後半で主題として展開していくので、その辺りをめぐる命題を考えさせるドラマ部分に見応えがある。具体的には以下の如し。
 ヒロインはお金を寄付されるうちに加害者のマイナーを赦した後やがて精神病を病む彼に愛情を感じるようになり、 “愛の後に来るのは?” とマイナーに問う。しかし、マイナーの理性的な部分は贖罪は決して成すことが出来ないと考え、再び自己に閉じこもってしまう。これに乗じて精神病院の院長が酷烈な治療法を取った為に却って悪化、エリザとマレーは彼をそこから救い出そうと奮闘する。

夫の活動に疑念を持ちながら最後に理解するに至るマレー夫人エイダ(ジェニファー・イーリー)も印象深い。彼女の存在があって全体のバランスが取れ、見応えのある作品になったと言っても良いくらいである。

小学校に上がる前から国語辞典を読むのが趣味だった。最初は口絵を見るのが楽しかったが、次第に言葉そのものに興味が移った。そのせいか、今でも言葉に関してはうるさい。TVを席巻するデタラメな日本語にイライラする。文化庁が毎年国語の調査をしているが、諺の意味の誤解などに留まり、全然足りない。指摘すべきことは他にも色々とあるだろうに。諺の意味など寧ろ枝葉末節である。

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この記事へのコメント

モカ
2021年09月05日 09:53
こんにちは。
およそ言語を生業にする人物像からは遠いイメージのある俳優陣ですが、よく考えてみれば枝葉末節に至るまでにこだわる人間は彼らのような狂気とも言えるエキセントリックさを秘めているのかもしれませんね。
日本の金田一京助なんかはどうだったんでしょうね。春彦氏などは優しそうで常識人って感じでしたが…
ジェニファー イーリー、「高慢と偏見」のエリザベスからもう20数年経ちましたがクラシックな文芸物には欠かせない女優さんになりましたね。

私も小学生の頃は少し活字中毒気味でした。ただ私の場合先生のような正しい言葉を学ぶという姿勢に欠けていて、そこいらに転がっている文字をやたらに読んでしまうという危ない活字マニアでしたね。店の看板、映画のポスター、貼り紙、新聞、大人の週刊誌…
その所為で読解力が足りないのか単に教養不足なのか(両方ですけど)ただ今EMフォースターに悪戦苦闘中です。(泣笑)
モカ
2021年09月05日 19:29
毎回お手間掛けてすいません。上のお名前を削除願います。
iPadは便利だけど不用意に画面を触ると反応するので困り物です。

訂正させて下さい。2ヶ月程前に観たところなのにすっかり忘れていました。
メル ギブソンもショーン ペンも言語を生業にする専業言語学者ではありませんでしたね。
浅野佑都
2021年09月05日 21:05
 この作品はコロナ禍下の去年、劇場で観ることのできた数少ない映画の一本で、『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』(amaznnプライムで無料視聴できます)と共に年間ベスト10に入っています・・。


>(モカさんの)およそ言語を生業にする人物像からは遠いイメージのある俳優陣

メル・ギブソンもショーン・ペンも、言語学者の役ではないにせよ、どちらかと言えばペンよりも剣の似合う二人ではあります(笑)

が、これはモカさんも触れられたように、70年という膨大な時間をかけて行う、常人から見れば”行き過ぎている”ともいえるオックスフォードの辞書作りの担い手として、ともすればやり過ぎ演技の二人の個性が図に当たった作品と言えると思います。

日本の「舟を編む」のほうは、いかにも現代的なオタクを主人公にしてメルヘンチックに作られていて、こちらも面白くは観ましたが、実際の辞典作りとは常ならざる実話であるこういうものでしょうね・・。

それにしても毎回のように感じますが、W座の小山薫堂氏の解説?は、なんとも時代錯誤で的外れなものが多い気がしますね‥。もう一人のアシスタント?のほうがまだマシです(笑)
オカピー
2021年09月05日 22:26
モカさん、こんにちは。

>およそ言語を生業にする人物像からは遠いイメージのある俳優陣
>言語を生業にする専業言語学者ではありませんでしたね。

メル氏のほうは、生業にこそしていませんが、仕事として特化していますので、似たようなものでしょう。

>枝葉末節に至るまでにこだわる人間は彼らのような狂気

はい。僕も枝葉末節に拘り、TV画面に向って文句を投げつけています。
僕も相当エキセントリックでしょう。まともに日本語を使えていない村のおじさんに、現在TVで使われている言葉の問題を説く・・・
マレーとマイナーという人物もどっちがどっちかという感じでしたね。多分二人ともMで始まるMr.M。MadのMなのかもしれませんわい(笑)

>金田一京助

彼はアイヌ語も研究していましたから、息子よりMr.Mの可能性大ですね。

>ジェニファー・イーリー・・・文芸物

エミリー・ディキンソンの伝記映画にも出ていました。

>転がっている文字をやたらに読んでしまうという危ない活字マニアでした

読むうちに知識となる・・・デス。

>ただ今EMフォースターに悪戦苦闘中です。(泣笑)

僕も完全主義ですけど、モカさんもカモ(回文を目指すも失敗)。
却って迷惑をかけてしまいましたね・・・
オカピー
2021年09月05日 22:50
浅野佑都さん、こんにちは。

>『ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像』(amaznnプライムで無料視聴できます)

( ..)φメモメモ

>共に年間ベスト10に入っています・・。

欧州の純文学も良いけれど、英米の解りやすくしかし骨太のドラマ映画も見応えがありますね。僕もこの手の映画は好きです。

>どちらかと言えばペンよりも剣の似合う二人ではあります(笑)

ハハハハハ。
僕も昔ペン主演の映画で使ったような気がしますが、やはり可笑しい!

>70年という膨大な時間をかけて行う、常人から見れば”行き過ぎている”

僕もちまちまとやるのが大好きな完全主義者ですから、マレー氏(ギブスン)の気持ちはよく解るデス。

>W座の小山薫堂氏の解説?は、なんとも時代錯誤で的外れなものが多い気がしますね‥。

この映画でも、少し首を傾げさせることを述べていたような記憶があります。最近は“すぐ忘れる課”勤務なので、全く思い出せませんが(笑)
モカ
2021年09月06日 11:38
こんにちは。
モカもカモ? です。

昔「東大一直線」っていう漫画があって、授業を聞いても枝葉末節ばかりを重要ポイントと思い込んでノートにとるアホが主人公でしたが私の場合そっちの傾向が若干あるようです。

フォースターは翻訳者違いの2冊を交互に読むと言う、原書の読めない出来の悪い英文科学生の試験対策のような事をやってしまい、そこへもって途中で他の予約本が来たので中断してしまって、もうカオスですわ。
でも吉田健一訳の粗探しが結構楽しいという、英語出来ないのに生意気な事をやっております。 小池訳でもかなり意味不明な箇所が多いですが吉田訳だけならとっくに放り出してましたね。吉田訳、どう思われました?
今までで一番笑ったのが、ホプキンスが娘にトンプソン姉妹をどう思うか聞いた時の娘の答えが、「ヘレナはいいけどあの歯がたくさんあるほうのはどうしてもいや」なんですよね。これ分かりました? 小池訳では「オールドミスのほうはご免だわ」です。toothを使った言い回しを調べましたよ。ありました!
枝葉末節で頑張ってますでしょ? 単位くださいね!
オカピー
2021年09月06日 17:22
モカさん、こんにちは。

>私の場合そっちの傾向が若干あるようです。

僕も、どうでも良いことをノートに書き留めることが多く、今でも人に言えないどうでも良い記録を付けていたりします(笑)

>「ヘレナはいいけどあの歯がたくさんあるほうのはどうしてもいや」
>なんですよね。これ分かりました?
>小池訳では「オールドミスのほうはご免だわ」です。
>toothを使った言い回しを調べましたよ。ありました!

ええ、よく解らなかったので、珍しく憶えていますよ。
tooth (若しくはteeth)を使った慣用句を調べてみましたが、当方では見つからなかったですよ(歯が少ないことで老人を指すなら解りますが、たくさんあることがどうしてオールドミスに? 解らんなあ)。
よって単位を進呈致します(笑)。
モカ
2021年09月06日 20:56
こんばんは。

正解は…多分これしかないと思います… long in the tooth
歯が多いじゃなくて歯が長いですが。 こういう表現は当時はスラング扱いだったのかもしれませんね。
オカピー
2021年09月07日 12:46
モカさん、こんにちは。

>long in the tooth

な~るほど。
愛用して来た研究者の社会人向け(?)辞典【現代英和辞典】にも、目立たないように(笑)載っていましたよ。見落としちゃったなあ。
「ハワーズ・エンド」の原文ではどうなっているのでしょうかねえ。
vivajiji
2021年09月07日 12:56
こんにちは。
浅野さんおすすめの
「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」
私も力込めて1票!!
久しぶりの優秀作ですよ。
それだけが言いたくて立ち寄りました。^^

「博士と狂人」、機会がありましたら観たいです。
オカピー
2021年09月07日 21:40
vivajijiさん、こんにちは。

>「ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像」
>私も力込めて1票!!

プライムビデオにありました。
それほど遠くない未来に観てみます。
お二人のお薦めであれば、間違いないでしょう^^v