映画評「明日の食卓」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2021年日本映画 監督・瀬々敬久
ネタバレあり

近年瀬々敬久監督はもの凄い勢いで作品を作っている。2014年以降TV映画を除いても7年で14本である。殆どがジャンル映画でないのにこの本数はどうかしている。

それはさておき、本作は椰月美智子という女性作家の長編小説を映画化したもので、瀬々監督が脚本(脚色)に関わっていないので、変な風に大袈裟ではないものの大袈裟は大袈裟なのである。

漢字は違うがいずれも “ゆう” という名を持つ小学5年生(原作では小学3年生)を巡る一家の物語。
 一つ目。ゆうを兄とする二人兄弟の喧嘩に困っているフリーライターの留美子(菅野美穂)が本格的に仕事を再開すると、カメラマンの夫君(和田聰宏)の家事・育児を一切しないことが顕在化する。しかも彼はその直後に首になって大いに荒れ、一家の平和が崩れ去る。
 二つ目。夫君に逃げられてシングルマザーとして仕事を掛け持ちする加奈(高畑充希)は、借金も完済できる直前に仕事を一つ首になり、プータローの弟(藤原季節)に通帳を持ち逃げされる。母親の頑張りに自分も頑張ろうとしてきた息子は、母親が憎む叔父さんに自分を重ねて母親に反抗する。
 三つ目。隣の別宅にマザコン夫(大東駿介)の母親(真行寺君枝)が暮らす優雅な専業主婦あすみ(尾野真千子)は、息子が虐めていると同級生の母親から不快な電話を受ける。当事者同士が仲良くしているので間違いを確信するが、やがて息子が他人を使って虐めさせていたことが判明する。この息子は祖母の認知症による奇妙な行動も無視するなど都合の悪いことにきちんと向き合わない母親の性格に反抗していたのだ。

最後の少年はこの作品の中で言われるサイコパスではないが、繊細で頭の良い少年がやりかねない実験をしている。ちょっとしたホラー映画テイストで、原作由来とは言え瀬々監督らしいやりすぎの典型だろう。
 一番水準的なのがシングルマザー加奈のエピソードだが、その為に型通りという印象が強い。少年の感じるプレッシャーも曖昧な感じである。
 型通りと言えば、フリーライター留美子の挿話も大差なく、喧嘩兄弟の扱いも月並みにしてやはり曖昧。兄が何故弟を邪険にするか解りにくいのだ。

日本流のフェミニズム映画で、出て来る夫たち(失踪したのを含め)や弟という成人男性が尽くダメ男である。全く問題がないとまではヒロインたちを扱っていないにしても、一人くらいまともな男性が出てきた方が寧ろバランスが取れる。そうであれば女性映画もしくは母ものではあってもフェミニズム映画などとやや批判的な印象を与えかねない紹介もせずに済んだだろう(その昔、女性映画という言い方をさえ嫌がっていたフェミニスト評論家がいたなあ)。

あすみの父親が出番のある男性としては唯一平均的で、恐らく自分が仕事で関わっている放射能に対して “悪いもんが目に見えるもんだったら良いんだがな” と言うのだが、考え方によってこれら三家族に通ずる問題について遠回しに示唆しているようにも感じられる。この台詞は捨てがたい。

序盤のうち母親と子供のエピソードが必ずしもリンクしていないので、挿話間の往来を重ねるうちに混乱をきたす。還暦を過ぎた、まして僕のように映像・画像記憶が良くない人間には結構しんどい映画かもしれない。

映画を観ている間は気が付かなかったが、この一家は苗字も同じ石橋なのであった。

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