映画評「マーティン・エデン」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年イタリア=ドイツ=フランス合作映画 監督ピエトロ・マルチェロ
ネタバレあり

「荒野の呼び声」で有名なジャック・ロンドンの、日本では余り有名ではない小説「マーティン・イーデン」のイタリアにおける映画化で、舞台は19世紀末~20世紀初めのアメリカから1970年代くらいのイタリアに変えられている。
 ロンドンの自伝的小説という紹介に頼るまでもなく、ロンドンの映画化と知っていれば多くの人が自伝的と思う内容だろう。僕はロンドンの映画化とは知らなかったのだが、実は、主人公の名前が純粋のイタリア人ではまずいない名前なので、少し首を傾げてはいた。

少年時代から船乗りをしてきた20代の若者マーティン(ルカ・マリネッリ)が、上流階級オルシーニ家の若者を暴漢から助けたのをきっかけに、その妹エレナ(ジェシカ・クレッシー)と親しくなり、教養ある彼女に影響されて文学の勉強を始め、当初は船乗りをしながら、やがて教養を積んで本格的に文学の道を志すようになる。
 姉の夫から追い出されてやっと見つけ出したシングルマザーの家に下宿して文芸雑誌に次々と原稿を送るが尽く送り返され、その頃から言動が激しくなった為にオルシーニ家から縁を切られる。ところが、ある雑誌社の雑誌に掲載されると知らされる。
 数年後今や大作家としてもてはやされる彼は、その実、満足できていないのである。

映画はマーティンが海に泳ぎ出すところで終るが、これは40歳で薬物自殺するロンドンの最期を被せているのか、原作通りなのか。

本作は、恋愛映画と理解した。主人公の空しさは恐らく本当に愛したエレナが自分を理解してくれず、成功してから現れたことにあるのではないか。彼にとってエレナとの恋愛成就と成功は不離一体のものだったと僕は考えるのである。

画面を含めて1970年前後のヴィットリオ・デ・シーカやマウロ・ボロニーニの作品を想起させる。エレナを演ずるジェシカ・クレッシーという女優を見ていると、やはり労働問題を絡めたボロニーニの「わが青春のフロレンス」(1970年)で鮮烈に我々の前に現れたオッタヴィア・ピッコロを思い出し(似ているわけではない)、僕が青春を過ごしたあの時代のイタリア映画ムードに涙が出そうになる瞬間さえある。

しかし、随時挿入されるアーカイブの意味合いが解りかね、為に一人合点に見えるところがあり、また、後半の主人公の曖昧な理由に基づいた荒れ具合が、それまで陶酔させていた文芸ムードを損ない、気に入り切らない。
 主人公は社会主義から距離を置いているが、1960~70年代のイタリアの労働問題や社会主義の位置を知っているともっと興味深く見られるのかもしれない。

レベルが下がっているのに邦画が大人気である。1970年頃一般的な映画ファンは洋画しか見なかった。欧州映画も今とは比べられないくらい人気があった。邦画を見るのは寅さんを観るような大衆か、あるいは逆にコアな映画ファンだった。同時代的な記憶ではそういうことになっている。

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