映画評「ある画家の数奇な運命」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2018年ドイツ=イタリア合作映画 監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
ネタバレあり

文学と同じで美術に関する僕の知識は現代美術以前に止まっている。従って、本作のモデルとされるドイツの現代美術家ゲルハルト・リヒターは名前すら知らない。

邦題はやや大袈裟な感じもするが、皮肉な運命ではあると思う。長編デビュー作「善き人のためのソナタ」で端倪すべからざる才能と感心したフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督の長編第3作。これもまた素晴らしい出来栄えだ。

第二次大戦開戦直前のドイツからお話は始まる。
 類稀な感性を持つ若い叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンタール)と素晴らしい時間を過ごした幼児クルトは、その叔母が精神異常者として捕らえられるのを見る。彼女は結局医師ゼ―バント教授(セバスチャン・コッホ)のせいで処刑されてしまう。
 戦後東ドイツ側に組み込まれたクルト一家のうち教師だった父は、戦中生き延びる為に選んだナチ党員の立場が災いして教職から追い出され、掃除夫をするうちに自殺する。
 クルト(青年期トム・シリング)は持ち前の才能を発揮して東ベルリンの美術学校に入るが、ナチ時代に現代美術が否定されたのと同じく、今度は社会主義リアリズムの名の下に現代美術的なものが認められない。学校で出会った女子学生エリザベト通称エリ(パウラ・ベーア)と懇ろになるが、皮肉なことに彼女の父親はゼ―バント教授である。彼女が妊娠したと知ると、父親が自殺したクルトの種は劣性であると考え、若い二人を騙して堕胎してしまう。これが禍根を残す。
 追及の手を遁れてエリの両親が西側に去ったのに続いて二人も西ベルリンに逃れる。ベルリンの壁が出来る直前で、難なく西側の人となる。デュッセルドルフの美術学校に入学したクルトは、風変わりなフェルテン教授(オリヴァー・マスッチ)の影響を受ける。変わった発想をするクルトは気に入られるが、思ったような作品を生み出すことができない。
 安楽死を指導した医師が逮捕されたことが天啓となって、彼は写真を利用するアイデアを生み出す。その中には叔母と一緒に収められた自分の写真やゼ―バント教授の写真なども入っているが、他人には黙っている。しかも妊娠不可と思われていたエリが妊娠する。写真のアイデアも成功する。20年前に殺されたエリザベトが天国から力を注いのだろう。

最後の一行は僕の印象にすぎないが、彼女が暗い時間帯にバスを使って行った一種のパフォーマンスを彼がやるのを見ると、そう思わざるを得ないのである。

一番数奇であるのは、主人公が叔母の面影を見出した女性が同じ名前を持ち、しかも叔母を死に追いやった張本人の娘であるという事実。運命の皮肉とも言いたくなる。
 これを筆頭に、ドナースマルクは相似を多く活用する。現代美術に対する考え方がナチスも社会主義(厳密にはソ連型社会主義)も自由を敵視する点で同じであること。ゼ―バント教授がクルトに紹介するバイトが病院の掃除。教授が意図したかは知らないが、死んだ父親と同じである。

ところが、叔母のエリザベトは断種された後に死ぬが、妻のエリザベトは父の手で断種されたのも同然だったのに遂に子を産む。
 本作の殊勲は、主人公の芸術家としての成長に拘って非運な彼に怒りの発露を一切表現させなかったことだけでなく、否定的相似からいきなりそれを突破する展開を持ってきたことである。物理用語で言えば昇華、哲学用語で言えば止揚とでも言うべき作り方が誠に鮮やかと言うしかない。

芸術の自由も認められない全体主義はやはりダメだ。最近の不自由展をめぐる騒動などを見れば、日本も表現に関して完全なる自由な国家とは言えないようだ。自由不自由以前に展示物に関してそもそも大きな誤解があるのだが。

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この記事へのコメント

モカ
2021年10月04日 17:59
こんにちは。

予備知識なしで観ましたが3時間ほどの長尺にもかかわらず緊張感が持続してダレずに観ることができました。
戦時下のドレスデンという事でカート・ヴォネガットの「スローター・ハウス5」を思い出しましたが、空襲はこのお話のメインテーマではなくてほっとしました。

>主人公が叔母の面影を見出した女性が同じ名前を持ち、しかも 叔母を死に追いやった張本人の娘であるという事実。
>ドナースマルクは相似を多く活用する

青年になった主人公が大きな木の上で天啓?を受けて家に駆け戻り、父親に「すべての物事はつながっていることに気づいた。もう悩まない。」(大意)と言いますがこのへんが伏線かもしれませんね。 自覚はしていなくともガス室送りになった叔母さんの魂とつながっていたという事でしょうか。

ゼーバント教授の肖像画を描くために院長室に入った時、イーゼルを置いて部屋を一瞥したとたんにクルトの表情が不安そうに曇り、まず棚に置いてある時計をじっと見てからエリザベトの子供時代の絵を見ますが、叔母さんがかつてこの部屋に入った時に同じことをしていましたね。それから叔母さんが断種手術されると知って蹲ってしまった部屋の隅を忌まわしい場所を見るように凝視していましたし。

エリの全裸場面が必要以上(?)に多いのは叔母さんの全裸ピアノ演奏場面と対なのか、単なるサービス精神からなのか・・(笑)

送信しようと思ったら宅配便が来たので受け取りに出ましたら考えがかわりましたよ。エリが愛する人に出会って結婚して子供を産むという、叔母さんの奪われてしまった幸せな未来をエリが代わりに実現したと捉えたらどうでしょう? だからクルトは最後のバスの場面で叔母さんと一体になったんじゃないですかね。
オカピー
2021年10月04日 22:06
モカさん、こんにちは。

>3時間ほどの長尺にもかかわらず緊張感が持続

ドナースマルクは才人と思います。卒論のようなデビュー作も見事に面白い傑作でしたが、本作も甲乙つけがたい。これだけの作品を二つ作れれば、後は凡作でも良いです(笑)

>青年になった主人公が大きな木の上で天啓?を受けて家に駆け戻り

観客には全く何のことが解りませんが、この後の展開の一々と関係づけられるのでしょうね。

>部屋の隅を忌まわしい場所を見るように凝視していましたし。

あの木の上から既に見えていたのかもしれません。

>叔母さんの奪われてしまった幸せな未来をエリが代わりに実現したと捉えたらどうでしょう?

そういう文脈で捉えると、非常に落ち着いたものになりますね。どこまで事実か不明ですが、相当部分が事実である筈なので、不思議な話ですよね。神の配剤という言葉がぴったし。