映画評「ナイチンゲール」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年オーストラリア映画 監督ジェニファー・ケント
ネタバレあり

アメリカのリベラルと言われる人々が先祖たちの行った旧悪に対して罪悪感を禁じ得ないことが、ポリティカル・コレクトネスと言われる現象を通じてよく感じられる。
 戦後、日本の人権に関心のある人々は太平洋戦争とそれ以前に行ってきた行為に焦点を当てて批判的に取り上げ、教科書などもそれに倣ってきたのだろう。最近は保守の言論が強くなり、教科書などにおいて少々後退気味であるが、僕は、余程のデタラメでない限り実際より悪い扱いであっても、同じ間違いを繰り返さない為に日本・日本人が行ってきた罪悪はきちんと記載したほうが良いと思っている。その為の歴史の勉強である。それが出来ないのであれば歴史の勉強など必要ない。
 そうした考えについて自虐史観という言い方があるが、それは間違いで、戦前の皇国史観に対する庶民史観とでも言うのが妥当。歴史を動かさない庶民が権力者を厳しく見るのだから、論理的にどう考えても“自虐”にはならない。

翻って、そんな僕が映画におけるポリ・コレを嫌うのは、その主義主張故ではなく、特に昔を舞台にした映画で明らかな嘘をつくからである。エリザベス朝時代の英国大使が黒人だったり、「オリエント急行殺人事件」のリメイクで戦前の上層階級をテーマにしながら乗客でもある医師が黒人であったり、デタラメではないか! 右派の歴史修正主義が目立つが、これも一種の歴史修正だろう。
 アカデミー作品賞の基準に人種要素などを加味したことに賛同した学者も“現実を余り逸脱しないことが重要”と言っている。観客は、舞台と違って映画をリアルに感じるので、上のような扱いは誤解を与えがちである。

閑話休題。
 本作は、オーストラリアの女性監督ジェニファー・ケントが、祖国における英国人(つまり先祖)の甚だ非道な悪行に黙っていられなくなったのであろう。話は比較的単純である。

タスマニア島に流されたアイルランド人の元女囚クレア(アシュリン・フランチオージ)は同国人の夫と乳児の娘を殺した、囚人を監視するのを仕事としているらしいホーキンズ中尉(サム・クラフリン)以下三人の軍人を、ジャングルと険しい山の中に追っていき、復讐しようとする。その為に白人不信であるアボリジニのビリー(ベイカリ・ガナンバー)を雇って無理やりにでも協力させないといけない。
 何とか三人の一行(案内や運搬人もいる)に追いついた彼女は、先にアボリジニに足を射抜かれた一人を殺した後、何故かもっと極悪な二人を殺すことに躊躇し始める。

この映画で一番解りにくいのはここで、何か森の霊にでも影響されたのか、ヒロインは突然恐怖にかられるのである。
 ケント監督が単純な復讐劇の図式を避けたかったのだろうと推測するが、本作には幾つかの対立する要素を絡み合わせているので、そう急激に変える必要はなかったような気がする。あるいは、非常に慕っている “おじさん” を殺した軍人二人をビリーに殺させる流れを作り出す為だったろうか?
 復讐の為の殺しを諦めたクレアに代りビリーは宿泊所に向かって中尉と軍曹を殺し、二人で逃げる。

ケント監督は、白人対原住民(黒人と表記されるのには違和感あり。西部劇でインディアンを黄色人種と云うようなものである)をベースに、イギリス人対アイルランド人、軍人対囚人、男性対女性の対立関係を重層させ、ビリーにとっては憎き “白人” に過ぎないクレアが同じく被害者であると彼に理解させるという流れをケント監督は作り出した。19世紀英国人の旧悪暴露を通して、現在でも解決しない人種・民族差別と男性による女性への暴力(あるいは男性優位社会)という問題を透かして見せた作品ということになると思う。

人間なるもの、喜怒哀楽の中でも怒と哀には容易に靡く。序盤にあれだけ酷いことを見せられれば義憤にかられて否応なしに画面に見入ってしまう。
 という次第で、途中のヒロインの豹変など疑問が幾つか残るとは言え、総じて面白味のある作劇で、ヒロインが浜辺に昇る太陽に “愛する人” を見出す幕切れまで、4:3というクラシックなアスペクト比の効果と相まって、画面も力強い。

ジョン・レノンは「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」The Luck of the Irishで “もしあなたがアイルランド人の運命を背負ったなら、イギリス人でありたい!と思うだろう” と歌った。ポール・マッカートニーも、「アイルランドに平和を」Give Ireland Back to the Irishで”アイルランドをアイルランド人に返せ”と歌っている。

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この記事へのコメント

2021年09月18日 21:38
ひとり殺してから、少し我に返ったというか、殺すことの罪のようなものを感じたのかとも思いました。
最も憎らしい相手の前で姿を見せてしまって、しかも撃たない、というのは意外でおもしろかったです。おいおい何やってるんだと。
オカピー
2021年09月19日 09:14
ボーさん、こんにちは。

>少し我に返ったというか

人間の感情の流れでは全く同意します。
肩透かしが面白い、という作り方の捉え方も同意できます。

大衆映画的な作りの中で、突然それを持ってきたところに、疑問が生じたわけですが、恐らく監督は大衆映画として作っていず、そこでその瞬間僕のような平凡な観客との間に齟齬が生じたのだと思います。