映画評「その手に触れるまで」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2015年ベルギー=フランス合作映画 監督ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
ネタバレあり

ジャン=ピエールとリュックのダルデンヌ兄弟の作品は大体において曖昧なままに終わり、観客をもやもやさせるが、観る人が観ればそのもやもやが寧ろ人生の真理であると気づかせ、納得させられるのだ。

話は単純至極。

ベルギー。兄と共にモスクへ通ううちに原理主義者となった13歳の少年アメッド(イディル・ベン・アディ)が、導師から、放課後クラスでアラビア語を教えている女性教師イネス(ミリエム・アケディウ)が(コーランではなく歌によりアラビア語を教えている等の理由により)背教者であると叩きこまれ、ナイフで殺そうとする。
 事件は早めに気付いた彼女の回避により全くの未然に終るが、アメッドは少年院に収監される。反省した態度は見せかけで、彼女が少年院に面会に訪れればボールペンで襲うチャンスを伺い、それもできないと、農園から移動中に車から脱出、彼女の家を壁伝いに上って侵入しようとする。結局落下して身動きできなくなり、出て来たイネスにより手を差し伸べられる。

この作品では少年が女性の手に触れることが頗る重要で、事件の前、アメッドが大人のムスリム(イスラム教徒)は女性の手に触れないと言って握手を拒否する場面がある。そして最後は女性の手に触れて助けられることになる。

現在コロナ禍により一時的に握手を避ける習慣がキリスト教徒の間にも定着したが、これはコロナが収束した後に元に戻ると思う。日本語でも英語でも “助ける” ことを“手を差し伸べる” “手を貸す”などと言って、 文字通り手に触れ合うことは人生を生きる上で非常に重要であるからだ。
 その事実に鑑みるに、イスラム教原理主義の問題にダルデンヌ兄弟が真摯に向き合っている一方、この映画の主題は人間は他人の手なしに生きられない、ということであると思う。

映画の最後で少年は必要に迫られて女性教師の手に触れるが、勿論これで彼が原理主義から逃れることができるか保証の限りではない。しかし、あるいは彼はそのまま不随者となって文字通り他人の手を借りることの多くなる可能性もありそうなのだ。僕の印象では、本作で出て来る単語を使うと、地獄に行くのを嫌がって自分から地獄に落ちた、という感じである。

これほどの悲惨を経験して少年がベルギーで真っ当に生きていく人生を選べないのであれば、我々人間にはどうにも御しようがない。宗教を問わず、原理主義者にはそういうところがあり、非常に怖い。

ダルデンヌ兄弟の作品であるから、例によってセミ・ドキュメンタリー。それ故に醸成されるサスペンス性があって、彼らの作品としては案外に娯楽性が高い部類である。

ベルギーはフランス映画をサポートすることが近年とみに多くなっているが、本作はフランスがサポートしているのでござる。

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この記事へのコメント

モカ
2021年07月13日 16:11
こんにちは。

ダルデンヌ兄弟は「ある子供」までは観ていますが、どうも気軽に手が出せないです。U-NEXTの観たいリストに未見のものは入れていますが、ついついお気楽なほうに流れて行ってます。
ケン・ローチ以上に”観る前の覚悟”が必要なんです。大げさなようですが、私の場合は鑑賞後、どうしようもない重荷を背負った感が続くのです。(案外繊細なのです・・笑)
最近のケン・ローチはソフトランディングするようになったと感じますが、こちらはどうなんでしょう・・・
ラストの救いの手という意味では「ロゼッタ」に近いのかな?と思いますが。

オカピー
2021年07月13日 21:52
モカさん、こんにちは。

>ケン・ローチ以上に”観る前の覚悟”が必要なんです。

なーるほど。
社会派のセミ・ドキュメンタリーという点で似ていますが、ダルデンヌ兄弟のほうが突き放した感じがありますね。
ローチのほうが古典的な社会派に近い感じで、多分見やすい。

>最近のケン・ローチはソフトランディングするようになったと感じますが
>こちらはどうなんでしょう・・・

個人的には割合見やすいと思います(原理主義には腹が立ちます)が、無責任な断言はできません。