映画評「バクラウ 地図から消された村」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年ブラジル=フランス合作映画 監督ジュリアス・ドネルス、クレベース・メンドンサ・フィリオ
ネタバレあり

ブラジル製の異色作である。

今から数年後と出るから近未来。市の外れにある乾燥地帯の村バクラウは以前反乱があった歴史を有し、現在でも中心地とは疎遠のようで、選挙遊説中の現市長トニー・ジュニアににべもない。市長が持参した食料も大して有難がらない。それは尤もで、賞味期限切れのものが多い(賞味期限切れならまだまだ十分食べられるので捨ててはいけない。僕など消費期限を随分前に切れたものでも、肉以外食べる)。
 村長のような老婆の葬式が行われた直後、給水車のタンクが銃撃される。村がネット上の地図から消える。空飛ぶ円盤そっくりのドローンも飛んでくる。その頃男女のバイク・ツーリストがやって来る。村人は怪しむが、何もなく終る。やはりただのツーリストなのか?
 しかし、少し後のシークエンスで二人は殺し屋の正体を現し、やがて彼らがウド・キアー率いる殺し屋グループの一員と解る。村人たちが少しずつ殺されるに及び村人は昔取った杵柄の伝で、やがて襲い掛かって来るであろう敵に備える。

ふーん、七人の侍のいない「七人の侍」ですかな。その証拠に一時期黒澤明がよく使ったワイプで時間経過を見せるところがある。
 乾燥地帯ということもあり、気分は米墨国境を舞台にした西部劇に近いが、インディアン襲撃に備えた “砦もの” に見えるところもある。そういう狙いがあったとしたら、白人VS原住民の関係が砦ものとは逆になっているところが実に皮肉っぽい。

市長とこのグループの関係は判然としないが、恐らく水資源で何か良からぬことを考えている市長が、殺しを快楽とするこのグループに人間狩りをする特権を与えた。要は、自分には敵同様である村人を抹殺したかったのではないか?
 某映画サイトの投稿にある、“平和だった(という日本語は変で、平和のうちに過ごして来た、とでも言った方が良い)村人が突然残忍になるか”という問いは恐らくは愚問で、かつての反乱(その正体がよく解らないのが弱い)以来村人たちは村うちに固まって外部をずっと敵対視してきたのだろう。確かに村内では平和的でも外部に対しては攻撃的あるいは好戦的であったかもしれない。現状では解らない。
 若い人に多い思い込みに、田舎の人は朴訥にして温厚、人が良いというのがある。これは誤解である。田舎に育った僕が言うのだから間違いない。田舎には村八分があって残忍であり、性関係は奔放なのだ(さすがに会社員ばかりになった近年は町と同様になった)。少し前の日本を知る為に若い人は今村昌平の諸作品を観た方が良いだろう。先日読んだ頼敦の芥川賞受賞作「月山」も東北地方の、正に僕の言う世界を描いていた。

後半になって凄惨な描写があるが、それでもどこか牧歌的なのは全体的にテンポが緩いからで、内容には合っている。テンポが速ければ良いとは限らない。

唯一論理的に理解不能なのは、ウド・キアーが仲間を意味もなく撃ち殺すことである。彼らがいたらあんな最後にならずに済んだ可能性がなくもないのに。人間の行動原理にもとる行為・行動は不可という映画評価における基本の例外は、その人物が異常者等であること。確かにキアーは異常者の類だが、それでも自分が助かるくらいの知恵は働かすであろう。未だに彼の行動は理解できない。

五輪の開会式はわが誕生日である7月23日。しかし、その二日前にソフトボールやサッカーの試合が始まる。ソフトは見落とせないぞ。昔から開会式にはまるで興味がない。従って23日までは映画を観る時間がある。その後はどうしようか? 五輪の感想でも毎日アップしましょうか?

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