映画評「マーウェン」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年アメリカ=日本合作映画 監督ロバート・ゼメキス
ネタバレあり

ロバート・ゼメキスが監督した実話もの。最近は実話ものと言っても、良くも悪くもポリティカル・コレクトネスを意識したものが大半で、本作など典型であろう。僕は人権意識が割合高いので、人権を訴える思想自体は歓迎するが、その為に映画の作り方にまで口を出すのは余り感心しない。
 そうして時代の社会的要請に応える作者たちは確かに多様な人々を出して来るが、その為に作り方が多様的でなくなり、似たものばかり見せられる。そうでなくても観たい映画が少ないのに。以下簡単にお話。

女性の靴を集め時に履く癖のあるイラストレーターのマーク・ホーガンキャンプ(スティーヴ・カレル)が、それを理由にネオ・ナチ・グループにこてんぱんに殴られ、記憶喪失と共にPTSDに苦しめられ、現在は人形とミニチュアの家などでマーウェンという架空のベルギーの町をこしらえ、そこで彼自身を投影する偉丈夫の軍人と、これまた隣人を投影させた6人の女性たちがナチス軍人と闘う幻想に逃避している。彼に悪さをするのはデジャ・ソリスという魔女で、その為に軍人たちは蘇り、何度も闘う羽目になる。
 現実世界では、向かいの家にニコル(レスリー・マン)という美人が引越して来、彼は彼女(をモデルにした女性)をマーウェンの住人にするものの、現実世界の彼女は優しい女性ではあるもののプロポーズに応じることはできない。
 しかし、彼を苦しめる魔女を未来世界に送ってしまうと勇気百倍、裁判所に出廷することも、彼がミニチュアの町を撮りためた写真の自身の展示会にも参加することができるようになる。

空想世界の部分は、ゼメキスが20年近く取り組んでいるパフォーマンス・キャプチャーなのだろうが、もう当たり前になったのか映画サイトでは全く話題になっていない。顔は演じている俳優のものを多少レタッチでいじくっている程度と思われる。

部分的女装趣味というマイノリティーとそれを差別主義者(ネオ・ナチ)という対立軸を打ち出すのは良いが、空想の中とは言え暴れまわるのが女性ばかりというお決まりの図式なのは面白くない。

主人公が克己する物語としては、デジャ・ソリスを頭の中でやっつけた途端に勇気が出、あれほど嫌がっていた裁判所にも展示会にも参加できるというのが、余りにおざなりでお粗末である。僕はすっかり肩透かしをくいましたよ。
 その原因となったのが、WOWOWのご案内人たちが想像するように、ゼメキスが空想世界の作り込みに夢中になりすぎたせいかどうかは断言できないが、自身の旧作「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を利用したり、縁のあるスティーブン・スピルバーグの「レイダース/失われた聖櫃」を想起させるナチスの末期などに傾き過ぎた向きは否定できない。
 その占める上映時間の一部を主人公の現実世界を分析するところに当てる必要があったことは、多くの方が同意してくれるのではあるまいか。

引用と言えば、誰も指摘しないが、魔女の名前は有名なヒロインのもじりにちがいない。デジャ・ソリスDeja Thorisはターザンの生みの親エドガー・ライス・バローズが書いた「火星のプリンセス」のヒロインの名前Dejah Thorisとほぼ同じ。発音にほぼ影響のない h がないだけである。 e のないニコルみたいなものだ。

半世紀くらい映画を第一の趣味としてきたが、昔からの映画ファンの期待に応える映画が映画館でもTVでも非常に少ない。第一の趣味という位置付けを返上するしかない感じである。今はYouTubeの音源を使ってのCD作りが楽しい。洋楽について言えば、昔聴きたくて聞けなかったアルバムをほぼ100%カバーできるし、最新のアルバムも多くフルで手に入れられる。曲が途切れないアルバムなどでは(ダウンロードをそのまま連続再生すると0.1秒から数秒の曲間ができるので)編集ソフトを使ってフィックスする必要があるが、それがまた楽しい。

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