映画評「ソワレ」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2020年日本映画 監督・外山文治
ネタバレあり

面白いかつまらないかを別にして、本作のように、真剣に人を見つめるオリジナル脚本の作品が多く作られることが望まれる。現在日本では青春映画が多いが、コミックにばかり頼るのでは映画ファン層はやがて空中分解して消失するだろうと危惧している。
 実際本ブログ周辺のベテラン映画ファンの方が異口同音に“観たい新作がない” と仰る、若しくは実際に観ていらっしゃらない、という現象が生じている。

さて、最近日本の刑法における強姦罪に関する扱いが少し変わったが、まだ不十分らしい。女性たちが強く声を上げ始めた結果である。僕が初めて観る外山文治監督による本作はそうした社会背景を僅かに意識したような作劇になっている。

東京で舞台男優をするの村上虹郎が、所属する劇団の他のメンバーたちと共に、実家に程近い和歌山県の高齢者施設での演技プログラムに参加する。施設の介護員・芋生悠が劇団員と一緒に祭見学に参加する直前、昔から娘に手を出していた父親・山本浩司が訪れ、またまた暴力をふるい、そこへ現れた村上君と取っ組合いとなる。彼を守る目的もあって彼女が憎む父親をハサミで刺す。慌てた彼は彼女を連れて逃げ出す。

以降、バイト等で食いつなぐなどするが、結局彼女は警察に確保される。暫くして、彼は自分が高校時代に作った自主ビデオ映画に退学する彼女の姿が写り込んでいる(?)のに気づき、悄然とする。

目的を半ば失い、オレオレ詐欺に協力したこともある無名俳優の若者が、同窓生でもあった少女(未婚の若い女性のこと)と一緒に逃避行し、そのことにより被害者意識を抱いて一時彼女から離れるなどすることで自分の現実を相対化、ちょっとした精神的成長をして、より真剣に俳優業に打ち込み始める、というお話である。

途中主人公になった感さえある芋生悠嬢は、構成上は、彼のぎこちない成長過程を見せる為のギミックであろう。同時に、彼の眼を通した少女の人生模様と言えるような気もする。とにかく、二人は出会うべくして出会った、というのが主人公がビデオを見る幕切れの一つの示唆であることは間違いない。彼が今頑張ろうとしているのは彼女の為かもしれない。彼女は彼も証言するであろう裁判において状況から推して一種の正当防衛が認められ服役期間がそれほど長くならないはずだから、出所した後二人が手を取り合って生きていけると良いと思う。

テレンス・マリックと比較する映画サイトがあった。確かに自然や実景に人間を巧みに溶け込ませる箇所の多い作品だが、マリックを引き合いに出すと未見の方に間違った印象を与えかねない。彼は広角レンズを使い、かつ俯瞰や仰角を多用して神秘性を漂わす作家・作風であって、本作のリリカルだが即実的な描出とは大分違う。

幕切れの主人公の憮然・悄然とした様を見ているうち、憮然の誤用に思いが至った。実際比較的新しい和訳の本を二冊読んだら、 “憮然”を”ムッとしている”という意味で使っている例に遭遇した。憮然はがっかりしているので意味であって、怒っているという意味はない。悄然に近いのが実際。こういうのはそのうち正しくなり、それはそれで構わないとは思っている。正しいコミュニケーションを阻害する、もっと大きな問題のある言葉遣いがTVで跋扈している。かかる現象が何故多いかと言うと、それらは尽く話し手が自分が傷つかないように、言葉を曖昧にして操作することから始まっているのだ。そうした措辞の発明者は、正しい意志疎通を阻害どころか意図的に妨害しているのである。日本の村社会性を反映しているのだと思う。

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