映画評「瀧の白糸」(1933年版)

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1933年日本映画 監督・溝口健二
ネタバレあり

泉鏡花の同名戯曲を溝口健二が映画化したサイレント映画。1980年代以来の再鑑賞。衛星放送を録画したものを保存してあるが、今回はプライムビデオで観た。

江戸時代の風俗もまだ残る文明開化の明治半ば。水芸人として一世を風靡する滝の白糸こと水島友(入江たか子)が、文明開化の象徴のつもりで乗った馬車が遅いのに腹を立て、御者の若者・村越欣弥(岡田時彦)をけしかけた末に親しくなり、自分の為に御者を首になった責任を取ろうと、法学生を目指す彼の尻を叩いて、金を工面するからと上京させる。
 が、暫くして営業が芳しくなくなり、紆余曲折の末に高利貸し岩淵に体を預け大金300円を手にして帰る道中、興行を巡って不和となっている曲芸師・南京の一味に金を奪われる。二人がグルであったことに気付いた友は、南京の落とした短刀を持って岩淵宅を再訪、抵抗した時に振るった短刀が致命傷を与え岩淵は事切れる。
 現場にあったお金を持って逃げに逃げた彼女は、しかし、3年の後に逮捕される。地元・金沢で行われる裁判で担当する検事は、何と新任の欣弥である。彼が相手が恩人であるとの思いを断って滔々と説教すると、彼女は犯行を白状し、その場で舌をかみ切って自殺、欣弥も後を追う。

今普及しているこのバージョンは不完全で、裁判のところで終わっているが、僕の印象では却って余韻が残り、十分である。運命の皮肉を巧みに扱い、お涙頂戴(映画)として非常に完成度が高く大いに楽しめる(悲しい話に対し “楽しむ” とは変であるという新聞投書が40年くらい前の読売新聞にあったが、楽しむとは喜怒哀楽を全て含むのでございます)。

現在の感覚では、逮捕から結審までの過程が相当奇妙で、あの時代はそういうものであったのか。現在であれば、彼女の犯行は正当防衛による過失致死であり、その後金を取っているので強盗に準じるものの、仮にその点で有罪であるとしても、その前段が事実であることは南京の自白で確定しているので情状酌量の余地があり、数年の懲役刑で済むであろう。黙秘権がなく弁護士もいないのは時代のせいであろうか。事前に検事が徹底的に犯行を調べず、裁判官がリードするのも時代か? 
 欣弥が検事に徹して恩人に人情を加えずとも、事件を調べ上げて彼女を殺人で訴えない・・・現在であればそういうお話になる。いかな明治中庸(のお話)とは言え、僕としては二人を救ってあげたかったなあ。

溝口監督の演出では、鉄路の映し方が良い。

戦後化け猫女優と言われてしまう入江たか子が美しく、うっとりとした。

十数年前に司書もいない山の図書館で、老人が「滝の白糸」の小説版を探している現場に遭遇した。図書館員より僕の方が余程図書館内部に詳しいので探すのに協力したが、「泉鏡花全集」にも見当たらない。しかし、僕はその時失念していたのだ、「滝の白糸」の小説版は「義血侠血」というタイトルであることを。結局老人は別の図書館で探してみると言って帰ったが、「滝の白糸」では探し当てられないのである。失敗談として忘れられない思い出だ。

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