映画評「ある少年の告白」

☆☆★(5点/10点満点中)
2018年アメリカ=オーストラリア合作映画 監督ジョエル・エドガートン
ネタバレあり

二十歳くらいの若者ルーカス・ヘッジズが、化粧の濃い母親ニコール・キッドマンに連れられて、ある施設へ赴く。施設の内奥には母親は入れず、本人からは携帯電話が奪われ、日記の類は書くのを禁じられる。
 暫くはこの施設の模様が描かれ、ここが清教徒的潔癖さをもって同性愛者を矯正する施設であることが判って来る。施設から遠方に住む為母親は近くのホテルに滞在、毎日送迎するが、施療について話をすることは原則禁止である。但し、周囲に良からぬ影響をもたらす人が一族に最低一人はいる筈という信念の下に施設が調べさせる家系調査には母親は協力することになる。

その後随時彼がこの施設への入所を強制させられるまでの過去が挿入されるという、最近の作品では常套と言える手法で進行し、全体のあらましが見えて来る。

どうも19世紀半ばに書かれたホーソーンの小説「緋文字(ひもんじ)」以来清教徒的潔癖さは苦手で、この作品に出て来る施設関係者や代表者?ジョエル・エドガートンの言動には気が滅入り、従って若者が施設の圧制に反旗を翻す部分は拍手喝采を送りたくなる。
 牧師の父親の圧力をも乗り越えるところはそう単純に割り切れないにしても、子供を愛する母親の愛情と協力を最大限に得られて良かったね、という気持ちで見終えることが出来、後味は良いと言ってよろしい。

些かがっかりさせられるのは、最後の実話というネタ晴らしで、本作の原案に当たる自伝を書いたご本人ガラード・コンリー氏が写真で登場すること。これによって映画は一気にLGBTQの問題解消キャンペーン映画みたいに思えて来て、些か白ける。

同性愛に絞って話をすると、同性愛者の半分以上は精神的には同性愛者ではないのではないかというのが僕の最近の考えである。どういうことかと言えば、性同一性障碍を抱える人は自分が肉体と違う性であると思っているわけで、障碍を持っていない人が相手であれば、二人の関係は見た目はともかく異性愛と考えられるであろうということだ。
 勿論、原理主義的な人々(キリスト教に限らず)や、日本の経済拡大に対して結果的に大いなるブレーキ役を果たしている日本会議の諸氏諸嬢は当然こんな考えは認めない。

出演も兼ねているエドガートンは、共同脚色を含め、一応きちんと作っている。

アメリカの実話ものは、有名人でなくても結構ご本人に似せる。主題に影響がない限りはそこに拘らなくても良いと思うのだが。実際のお母さんも化粧が濃かったなあ。

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この記事へのコメント

2021年03月13日 09:45
ニコールさんが出ているというだけで見ましたが、最後には理解を示して行動する良い母の役でした。実話と知ると、逆にどの程度真実のままか、とも思いますが。化粧濃くてすみません(代わりに謝っておきます)。
オカピー
2021年03月13日 21:31
ボーさん、こんにちは。

>実話と知ると、逆にどの程度真実のままか、とも思いますが。

有名人ではない実話ものは、ポリ・コレ的なものが多い昨今ですが、本作は
そんな政治的意図と関係なくドラマとして嫌味なく作られていたと感じていたところ、実話と分って、逆にそうした話も見つけて来たのか、という印象で、僕はダメでした。すっかり白けました。

>化粧濃くてすみません(代わりに謝っておきます)。

聖職者の妻なのにあんな濃い化粧なのかと意外と思いましたが、案外何気なく夫君への反骨精神の発露だったのかもしれませんね。