映画評「寝ずの番」

☆☆★(5点/10点満点中)
2006年日本映画 監督マキノ雅彦
ネタバレあり

2006年の春先、津川雅彦がマキノ雅彦の別名で初メガフォンを撮ったことを某公共放送局が取り上げていた。映画館に行くほどではないにしても、映画揺籃記から成長期にかけて大きな働きをしたマキノ(牧野)家の血がどのように発揮されるかと楽しみにした。が、翌年には出ると思ったところのWOWOWに出るまで15年もかかるとは。

落語家の長門裕之が亡くなる。その通夜で、一番弟子の笹野高史、長男で二番弟子の岸部一徳、三番弟子・中井貴一、四番弟子・木下ほうか、五番弟子・田中章が故人との思い出話に花を咲かせる。落語家だけに面白可笑しいネタに富み、多くは二つの下ネタに傾く。故人の妻・富司純子、故人の最期に大きなお世話をした中井の妻・木村佳乃らの女性陣が彼らを囲む。

伊丹十三監督「お葬式」(1984年)の二番煎じを指摘する評もあるが、僕は公務員の生前を同僚が回顧する「生きる」(1952年)の後半と師と教え子たちの交流を描く「まあだだよ」(1993年)という黒澤明の二作を合わせたような印象を覚える。それをぐっと下品にしたようなものだ。

ところが、映画はここで終わらず、TV出演なども多かった笹野が追いかけるように亡くなる。また同じメンツで個人の生前を回顧する。相変わらず下ネタが多い。
 設定故に、桂三枝、笑福亭鶴瓶、浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎が本人役でゲスト出演する。マキノという暖簾の威力でありましょうか。

中島らもの連作短編集が原作である為こういう形式になったのであろうが、僕はこの二番目を飛ばして、富司純子の通夜に行った方が全体の座りが良かったのではないかと思う。
 というのも、彼女が三味線をかき鳴らして歌っていた戯れ歌が、師匠がくどく時に贈った歌と判明して少しじーんとさせるところがあるのだが、二番の通夜があることで間延びして、その感銘が薄まってしまうからである。

この最後の一幕では、純子さんをめぐって長門と競ったという元会社経営者・堺正章が出て来て、落語家たちと下ネタの歌で競い合う。これがこの三幕目のハイライトでもあり、中井貴一がなかなかの美声を聞かせる。堺正章はかつての“かくし芸”を思い出せる感じもある。しかし、彼は依然芸達者でも声がぐっと悪くなった。できれば、グループ・サウンズ時代で人気を競った元ザ・タイガースのサリーこと岸部一徳と競演してほしかったですな。彼はボーカルではなかったけれどもね。

出演者の芸を楽しむ作品で、その限りでは悪くないが、下ネタの中でも特に汚らしいほうはご遠慮願いたいムキなので少々辟易するところもないではないということ、落語ネタや芸者遊びの類が門外漢なので潜在能力ほど楽しめたかどうか鑑賞者として自信がないということを理由に、このくらいの☆★としたい。

サリーと言えば、リトル・リチャードの「のっぽのサリー」Long Tall Sally。ジョン・レノンは「ニューヨーク・シティ」で ♪サリーは男だよ♪と歌っている。おねえだったリトル・リチャードを指していたのだと思う。岸部サリーではない(当たり前)。

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