映画評「永遠の門 ゴッホの見た未来」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2018年アイルランド=スイス=イギリス=フランス=アメリカ合作映画 監督ジュリアン・シュナーベル
ネタバレあり

フィンセント・ファン・ゴッホの伝記映画は、2017年に再鑑賞に当たる「炎の人ゴッホ」、2019年に異色アニメ映画「ゴッホ 最期の手紙」と一年おきに見ている計算になる。

「炎の人ゴッホ」は1956年の作品だから聖職者時代から編年式にエピソードごとに描く極めてオーソドックスな伝記映画で、画家以前を含め主たるエピソードが網羅されている。油絵で描かれたアニメ映画の後者は晩年に焦点を絞り、彼の死について他殺説を主張する。
 ウィレム・デフォーがゴッホに扮した本作は、その中間という印象で、画家を目指してパリに繰り出してポール・ゴーギャン(オスカー・アイザック)と知合って以降の主なエピソードは大体紹介されている感じである。
 但し、WOWOW【W座からの招待状】で小山薫堂氏が指摘したように、耳を切るといったエピソードの場面はごっそり省かれ、その後のエピソードでフォローされるという作り方が為されている。

その意味では正統的な伝記映画とも、そうでないとも言えそうである。
 実際、画面的にも、客観映像、主観的客観映像、主観映像とで構成されていると考えられる。
 客観映像というのは言うまでもないが、僕の案出した映画用語である主観的客観映像というのは、例えばゴッホ自身が映されているが彼の心象が反映されているカメラである。ゴッホが動揺した時にゴッホを捉えたカメラが激しく揺れる。もっと端的なのは、酔っぱらいを捉える時にカメラが変な揺れ方をしたりするといった本作以外での例が挙げられる。
 主観映像若しくは主観ショットというのも難しくないだろうが、本作の場合は多く下部分が霞んだように見えるカメラが使われている。

僕の印象では、客観カメラが絶対量として少ない為、この作品全体がゴッホの心象風景を捉えた内容のように感じられるわけで、彼が画家だけにその目あるいは心眼を通して心象風景として変換された上で我々に提示される実際風景が大きな意味を成すように思う次第。

ただ、客観映像も安定したカメラでないところが多く、その点は余り好かない。映画論的に言えば、主観的ショットとの間の一体感を取るか、対照性を取るかといった感じになるが、僕は後者で観たい。

本作のゴッホは、自分は早く生まれすぎたのだ、というニュアンスの発言をする。それがゴッホの見た未来ということ。そういうタイプの芸術家は少なくない。

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