映画評「ヴィクトリア女王 最期の秘密」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2017年イギリス=アメリカ合作映画 監督スティーヴン・フリアーズ
ネタバレあり

この映画を観てこんなことを考えた。アメリカの白人たちは、自分達のやって来たことを反省し、ポリティカル・コレクトネスなることを考え出した。それ自体は褒めるべきことである。しかし、それを昔のことにまで敷衍したり、映画作りに半強制すること(例えば、群像劇などにおける人種配分、男女配分等)は正しくあるまい。多様性を強調する彼らの言に反して少しも多様性がない。作者の自由に作らせるべきである。
 翻って、英国映画がインド人/パキスタン人を(好意的に)扱う映画を増やしているのは、その英国版であろう。しかし、ハリウッド映画に比べてぐっと品が良く、殆どそうした意図を感じさせないのがよろしい。

1887年、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)戴冠50周年を記念する金貨を贈呈する仕事の為に、植民地インドの囚人台帳書きアブドゥル(アリ・ファザル)とモハメドが選ばれる。女王はハンサムなアブドゥルが気に入り、話を聞くうちにその教養にも惚れ込み、侍従にした後、師匠にまで昇格させる。
 皇太子エドワード(エディ・イザード)や臣下、使用人たちの彼への差別意識に対抗してナイト贈与を表明するが、大反発に配慮して取り下げる。1901年女王が死去すると、新王エドワード七世はアブドゥルを追い払う。

近年発見されたアブドゥルの日記を基にして書かれた、なかなか面白いお話である。従って、ここに描かれていることは大半が事実であることになろうが、英国的ポリ・コレ精神が発揮された結果、女王の差別意識のなさが幾分か強調され、英国人は大いに反省していますよ、という作者の強すぎる意図を感じてしまうところがなくはない。

その問題はともかく、女王をしてアブドゥルに傾倒させた背景は、周囲の人間がおべっか遣いだったり等で自分の孤独を慰める人が全くいないことによる人間不信だっただろう。食べながら寝てしまうという漫画的人物を体現していた女王が彼との交流によって急激に生き生きとしてくる。直接的には二人の交流の面白味を味わえば良いが、そんな彼女の心情を推し量りながら観るともっと楽しめると思う。

最近の日本人は、本来は末期(まつご)とほぼ等しい意味である“最期”を無理に “最後”の意味で使いたがる。この映画の“最期”も後者の意味であろう。困ったものだ。僕が今大問題と考えている案件は5つくらいあるが、その中に “ら抜き言葉” は入っていない。 何故なら話者に便利であるだけでなく、聞き手にも理解しやすいからである。長くなるので以下省略。

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