映画評「ふるさと」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1983年日本映画 監督・神山征二郎
ネタバレあり

アマゾン・プライムの有料会員になってしまった(WOWOW加入中 は止める気十分なり)ところ、常連の浅野佑都さんから、この作品が無償で観られると教えられた。観た記憶もあったのだが、実際に鑑賞したところ、記憶違いのようである。そもそもこれほど感慨深い作品を忘れるはずもないだろう。これ一本で会員費500円の価値は十分ある。

わが群馬県にも八ッ場(やんば)ダム問題があり、民主党政権時代に一旦建設中止が決まったものの、自民党が政権に復帰すると、元に戻った。昨年の台風の時に “作って正解だった” という声が保守層の間で上がったが、そんなことはないという専門家の意見もある。これについては、何とも言えない。但し、民主党批判の為に正解と言うならば間違いである。
 それと同じような案件に岐阜県の徳山ダムがあり、水没する徳山村の人々は随時引っ越していったと聞く。本作は、そのダム建設に翻弄される村の二家族を描くドキュメンタリー・タッチのドラマである。

僕が神山誠実郎と仇名を付けている神山征二郎は、しかし、社会派的なアプローチを殆ど避けて、人々の関係を掘り下げる方向性を採った。これが正解だったと思う。

春。遠くない将来の引っ越しを念頭に農業やアルバイトに駆けずり回っている長門裕之と樫山文枝の夫婦は、妻を失って以降ボケの進んだ父親・加藤嘉の扱いに困り、俄かに作ったプレハブに住んでもらうことにする。老人は一応喜ぶが、病気ゆえに喜怒哀楽が不安定である。
 隣家の少年・浅井晋が老人がかつてアマゴ(サツキマス)釣りの名人だったと知り興味を示し、それに応える老人は一時的にボケ症状から一気に回復する。
 その後雨で釣りの計画がご破算になるとまたボケたことを言い出すが、禁漁前最後の日曜日に少年は老人を引っ張り出し、山奥へ進む。ところが、そこで老人は倒れ、少年の文字通りの奔走も空しく死んでしまう。雪がちらつく初冬、この二軒は一緒に引っ越していく。

先日、唱歌「鎌倉」がパーソナル・ソングの一つであると表明(笑)したが、田舎生まれだけに唱歌「ふるさと」にも実にじーんとさせられる。正にこの歌を思い起こさせるお話である。
 リアルタイムの物語だから回想ではないものの、少年には老人との交流が強く心に残り、事あるごとに思い出すのではないか。少年と付き合う時はまともになる老人も満足できる晩節を生きたと実感して死んで行った気がする。

そして、二つの家族が峠の道から、やがて沈むことになる故郷を眺める幕切れが胸に迫る。目頭が熱くなる。

岐阜県出身の監督としては、この老人と少年の交流の底にダム建設への社会派的な意識を沈潜させているが、ダム建設問題を直球のテーマにしなかったからこそ、却ってこうした事業優先の考えに対し強い疑問を喚起する力があるような気がする。加藤嘉の好演を得て、日本人の心に残る秀作になったと思う。

ダム建設からみに、石川達三「日陰の村」という、戦前に書かれた読み応えのある小説があります。社会派がお好きならお薦め。

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この記事へのコメント

浅野佑都
2020年12月28日 13:51
 アッバス・キアロスタミを彷彿とさせるような、静かでありながらも力強い秀作でしたね。

>社会派的なアプローチを殆ど避けて、人々の関係を掘り下げる方向性を採った。これが正解だったと思う。
>ダム建設問題を直球のテーマにしなかった

ボケやそれに翻弄される周囲をテーマに人間の有り様を描いたものには「楢山節考」や「八月の狂詩曲」があり、老人と少年の交流作品もハリウッドにもたくさんある・・。
なのに、この映画が激しく胸を揺さぶられる理由は、単に、湖底に沈む美しい村の悲哀がディスカバージャパン的に日本人の琴線に触れた、というわけではないでしょう・・。
プロフェッサーの挙げたストロングポイントに、スター俳優を抑えてこの年の日本アカデミー主演男優賞受賞の加藤嘉の、キャリアハイといって過言ない演技が化学反応した結果と言えましょう・・。

こちらも好演の息子役の長門裕之は、この映画の数年後に細君の南田洋子の認知症介護という悲劇を迎えますが、それも含めて夫婦であり、作中の口は悪くても父親思いの息子役は彼の人間性の発露でもあったような気がします・・。翻って、浅丘ルリ子をポイ捨てしたような石坂浩二は人としてどうなのかな?と・・(愛とは儚し‥笑)

幸福感を抱く心理的因子のひとつが「独立性と自分らしさ」だといいますが。まあ、よく言う、足るを知る者は富む・・なんでしょうなぁ。

神山誠二郎は、犠打や二塁打があってもホームランのない、あまり怖くない打者という印象でしたが、これは文句なしのバックスクリーン越えだったと思います。

反面、この時期に、(大袈裟ではなく)わが県の恥を国際的に知らしめたと言っていい草津町長VS元町議女性の件ですが(笑)
外交特派員協会で、町長が「女性蔑視ではない」と釈明する事態に及んでおりますね。
まあ、常識で考えて冤罪でしょうし、女性のせん妄さえ疑われます(笑)
朝の町長室ですよ、僕が当事者ならば、たとえマリリン・モンローが裸で迫ってもカーテンを外して肩に掛けるでしょうね(別室で再開の約束をするかはともかく 笑)

昔ならローカルの囲み記事扱いが、ゆがんだフェミニズム思考の所為でこうなる・・。
まあ、外国特派員協会そのものが、いわゆる反日的ではないですが、その国の粗を探してなんぼのところがありますね。
オカピー
2020年12月28日 22:07
浅野佑都さん、こんにちは。

おかげさまで、良いクリスマス・プレゼントになりましたよ。

>アッバス・キアロスタミを彷彿とさせるような

僕もそんな印象を持ちました。

>加藤嘉の、キャリアハイといって過言ない演技

素晴らしかったですね。40年くらい前に亡くなった近所のお爺さんを思い出しました。

>作中の口は悪くても父親思いの息子役は彼の人間性の発露でもあったような気がします・・。

大人であれば、彼が父親を思っていることは分りますよね。若い人はただ嫌っているだけと思うかもしれないので、大事な観点です。

>まあ、常識で考えて冤罪でしょうし、女性のせん妄さえ疑われます(笑)

昔なら何でもなかったことが、今では犯罪にもなりかねないわけで、大変な時代になりました。どなたかが仰った「フェミニストが女性を縛っている」という言も納得できるところがありますね。
 僕が幼少時代に母親が勤めていた零細企業で、男性社員が女性社員のお尻をさわることがあったようですが、母親は触られたことがないと言っていました。母はまじめだったからです。要は、おふざけの場合はしかるべき反応をする女性にだけするんですよね。今なら、相互に了解し合ったおふざけも(他人の目には)セクハラになってしまう。
モカ
2020年12月29日 14:45
こんにちは。

良い映画を教えてくださってありがとうございます。

>岐阜県出身の監督としては、この老人と孫の交流の底にダム建設への社会派的な意識を沈潜させているが、ダム建設問題を直球のテーマにしなかったからこそ

 少し調べてみましたら映画制作時にはまだ工事にほとんど着工はしていなかったようですね。 
その後の合併された村の事等、にわか知識的に読んだだけですが、やはりというか、日本全国で繰り広げられていた地方への給付金で村おこしの図式が当てはまっていたようで、結局大きな物を建ててゼネコンが潤っただけで地域の過疎化は進んでしまったようで・・・なんともやりきれない話ですね。

父と息子、母親と娘という特に同性の親子間での立場の逆転する時(必ずあるとは限らないけれどあるのが健全な関係だと思います)の葛藤がリアルに表現されていたと思います。
 都会では就職等で親の家を出た時点でその辺がうやむやに過ぎてしまいがちですが、田舎で当然のように親と同居して同じ仕事についていて、まして親が長生きしたらああいう感じになるでしょうね。
 若かった頃(いい親でもそうでない親でも)の親のイメージを払拭するのは実際には時間がかかるし難しいもので、親の老いを一番受け入れられないのは当の子供であるという辺りが良く描かれていましたね。

 子供の頃何かの罰で納屋に入れられたりしたかもしれない長門が加藤老をにわか作りの小屋に閉じ込めるという、傍目には「ちょっときついのとちゃいますの?」的行為もその辺の逆転現象のように感じました。
 人生の最後の際にはそれまでの人生を走馬灯のように見るとかいいますが、加藤老の脳裏に若い日に小さな息子をヒョイと肩車して歩く姿が浮かんで、その後のシーンで老いた親が息子に背負われ山を下って行くという・・・うう、泣かされてしまいました。

 >石川達三「日陰の村」

  吉村昭「高熱隧道」も良かったです。
  

 
オカピー
2020年12月29日 18:55
モカさん、こんにちは。

>結局大きな物を建ててゼネコンが潤っただけで地域の過疎化は進んでしまったようで

日本のどこにでもあった、若しくは今もある、図式ですよね。北海道の核絡みの何たらも同じでしょう。
 箱ものや核絡みは地域の分断が起きるので、自治体に経済的利益があってもやるべきではないと僕は思います。

>親が長生きしたらああいう感じになるでしょうね。

何の因果か、家を出た次男の僕が出戻り(笑)して、両親の晩年を見ることになりましたが、二人とも元気で頭も僕が驚くくらいしっかりしていたのは幸い。逆にそれが災いしたところもあって二人共急死した印象、僕は唖然としました。
 とは言え、モカさんの仰る逆転現象は少しありまして、僕は父親の知識不足を指摘してぎゃふんとさせてしまったり。死んだ後、後悔しましたが。

>親の老いを一番受け入れられないのは当の子供であるという辺りが良く描かれていましたね。

それがああした怒りのような形で現れるんでしょうね。

>その後のシーンで老いた親が息子に背負われ山を下って行くという

この指摘は素晴らしいと思います。
 そう言えば、進むところは「楢山節考」所謂姥捨て山の話と真逆ですが、姥捨て山に老親を捨てに行く子供の心情は、この作品の長門裕之が老父をプレハブに押し込めるところと通じますよね。