映画評「ナポリの隣人」

☆☆★(5点/10点満点中)
2017年イタリア映画 監督ジャンニ・アメリオ
ネタバレあり

イタリアのジャンニ・アメリオ監督の、個人的には三本目の鑑賞作品。初めて彼を観た「家の鍵」(2004年)と明らかな共通点がある。壊れたもしくは壊れかけた家族関係の再生である。

軽い心筋梗塞を起こした元弁護士の老人ロレンツォ(レナート・カルペンティエリ)は、妻の遺産である複合アパートに自分も住みながら、家賃収入で食べているらしい。ある時鍵を忘れたという賃貸人の主婦ミケーラ(ミカエラ・ラマッツォッティ)の為に家を迂回し、裏口から入れてやる。

どうもイタリアのアパートはこういう回廊もどきのような形態が多いらしく、エットーレ・スコラの「特別な一日」(1977年)はそんな作りの家がある意味主人公であった。映画も数多く観ると色々と勉強になるという一例。

やがてやや陰鬱だが誠実そうな夫ファビオ(エリオ・ジェルマーノ)や二人の子供とも親しくなる。老人は、母親の死をめぐって確執のある娘エレナ(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)や息子との親子関係の溝を一家で埋めるかのように、積極的に関わっていく。
 ところが、或る夜ファビオが突然ピストルにより一家心中を図り、ミケーラだけが重態ながら即死を免れ、ロレンツォは翌日から彼女の父親を騙り病院に通い続ける。彼が昏睡している彼女にその心情を吐露していると、目をさます(と、彼女の生還を我が事のように思う老人は錯覚するのである)。夢の中にも彼女が現れるが、実際の彼女は遂に亡くなる。
 失意で行方をくらました老人は、突然、エレナがアラビア人容疑者の通訳を務める裁判所へ現れてまた消える。仕事を終えた彼女が父親を追いかけ、やがて手を握り合う。

地中海諸国は北アフリカからの移民もしくは不法移民が大量にいる為恐らく彼女のような裁判所専門のアラビア語通訳がいるにちがいなく、そういうイタリアの日常が垣間見えるところが興味深いが、冒頭で述べたように主題は家族の再生或いは親子の和解である。

父権主義的な国に限って核家族化が進むと、肉親の絆が脆くも崩れ去る。コミュニティにおける人間関係も希薄になる。幸い日本は最近映画群で観るイタリアほど、ひどくないような気がするものの、僕が知らないだけかも知らない。
 恐らく父権主義の権化のようだった主人公は、妻の死を自分の不倫が原因と娘が考え自分と口も利いてくれないと思い込み、娘は娘で自分が母親に告げ口したから父親が口を利かないと思い込んでいる。典型的な感情のすれ違いである。
 それを反射させるのが、たまたま彼のアパートの住人となった一家で、ここにまた解りやすい疑似家族の物語を形成する。この辺りは原作もの(作者ロレンツォ・マローネ)らしく、よく計算されている。

反面、ファビオの凶行の理由は(一回観たくらいでは)よく解らない。アラブ系移民に対して見せた被害妄想的態度を見ても何か強迫観念(ナポリにおける疎外感?)があるのは確かだが、その中身は病院に現れる彼の母親(グレタ・スカッキ)が語る少年時代の友人の墜落事故をめぐる嘘でも、彼が店で発見する自分が窓ガラスを割った消防車のおもちゃの件でもはっきりしない。僕の読解不足だけなのかもしれないが、彼の孤独は主題と絡み合っているだけに不満を感じる。

関係者の心情とその変化を描いて決して悪い作品ではないものの、その部分の説明不足を措いても、全体的に少し物足りないのだ。父親と娘が互いに自分から変わろうとしているところは、幕切れの爽やかさと共に、快い。家族は不幸を生むが、幸福もまた生む、というのが幕切れの意味である。

四半世紀前に選択性夫婦別姓が議題に上った当初、僕も自民党議員と同じく、家族の絆が薄くなると思ったものだが、日本が世界で唯一と言って良い強制的夫婦同姓を採る国であると知るに及び、考えを変えた。自民党議員にも選択制夫婦別姓に理解を示す人が徐々に増えてきたように思う。選択性夫婦別姓への移行は、特に封建的な考えが結婚を阻害する地方における結婚率を促進し、結果的に出生率アップに多少貢献するだろう。

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