映画評「決算!忠臣蔵」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり

「忠臣蔵」の基本を知らない人は見ても仕方があるまい。喜劇仕立てで比較的若い人に向けて作ったのかもしれないが、「忠臣蔵」を碌に知らない彼らにはつまらないにちがいない。

原作に相当するのは、山本博文氏の著書である。無数に関係文献があるのでどれがということはないのかもしれないが、全体のお話の構図は、比較的最近読んだ大佛次郎「赤穂浪士」に近い気がする。

江戸城で吉良上野介に対して刃傷沙汰を起こした赤穂藩の浅野内匠頭(阿部サダヲ)が切腹、赤穂藩はおとり潰しとなり、藩士は浪人(この映画では牢人)になる。当初は籠城して抵抗するという意見も出るが、結局おとり潰しを受け入れる一方、今度は上野介に対して仇討をするのか否かというところに焦点が移る。家老の大石内蔵助(堤真一)は、終始曖昧な態度を取るが、仇討するにしてもそれを実行する為に必要な財政上の問題がある。

本作の主眼はこの一番最後の部分で、そろばん勘定の観点から討ち入りを眺めるというところが大変興味深い。江戸城の刃傷沙汰もなければ、討ち入り場面も出て来ないのだから、忠臣蔵ものとしては前代未聞の異色ぶりと言うべし。「忠臣蔵」ファンの中には怪しからんと思う人がいるかもしれないが、逆に面白いと思う人も相当いる筈である。

喜劇仕立ての一環であろう、登場人物の会話は関西弁に統一されている。これについては反感を覚える人もいるだろうが、恐らく身内の間では、今とは多少違うにしても、関西弁が使われていたのではないか。その意味では、喜劇の為かどうかに関係なく、こういうアイデアがあっても良い。

非常に細かいことだが、気に入らないのは、自分の妻のことを“嫁”と呼ぶところがあることである。この言葉はフェミニストを怒らせるほど封建的な言葉であるから、自分の妻をつかまえて嫁と言うことはありえない。現代感覚を出す意味はあるにしても、核家族時代故に生まれた間違った観念の“嫁”を、封建制を象徴する忠臣の物語に使うのは、ナンセンスでありましょう。

ドラマツルギー的に相当疑問なのは、内蔵助が、勘定方=会計係(岡村隆史)が自分と間違えられて暗殺されたのに憤怒を禁じ得ず、仇討の気持ちを確固たるものにする(ように見える)展開で、余りに現代人的心情に迎合しているように感じられる。本作最大の欠点ではあるまいか。精神性や文化が根本的に違う筈の現在において時代劇を見せるのは、その一方で、現在に通底する生活感情を観客に感得してもらいたいからであるが、さすがに封建主義的精神性を無視することは出来ないと思うのである。

全体としては、中村義洋監督の大衆映画としての作りは安定していて、監督としてもその作品ももっと評価されて良い。

明治時代に標準語を定めようとした時に関西弁(京都の言葉)を選んでいたら、今、関東人の我々も現在言う関西弁を部分的に使っていた可能性が高い。

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この記事へのコメント

浅野佑都
2020年09月20日 13:35
>気に入らないのは、自分の妻のことを“嫁”と呼ぶところがあること

僕はフェミニストではないですが、”嫁”は元来は息子の妻のことを指す言葉だと目を三角にして言っても、今の20~40歳くらいの人には通じないでしょうね・・。「言葉の意味は変遷するから・・」とか言われそう(笑)

「女房」が古では、宮中の女官を指したり、「上さん」が、江戸時代では職人や商家の妻のことだったなどと、後付けの知識で若い人も対抗してくる・。
(うちの)”嫁”ブームの原因は、関西の漫才師たちらしいですが、もちろん彼らが封建的なのではなく、単なる方言の一種だと思います。
ですが、なんというか、僕はもうちょっと生理的に嫌なんですよ。

僕が会員制の映画コミュで記事をアップしていたころはまだ結婚していまして、当時の妻のことは”配偶者”と書いていたのですが、コメントする人からの評判が悪くて‥(笑)
曰く、愛が感じられないのだと‥(笑)じゃあ、嫁には愛が感じられるのか?という話ですが・・。

もうひとつ、日本語には”愚妻”というのもあり、これこそ反フェミニズムの究極たるものではないか?と返されるのが目に見えますが、個人的には嫌いではないです。
きちんと対等な関係を築いている夫婦なら、互いの距離感の近さから身内を謙譲するのは一つのスタイルだし、日本語らしい余韻だとも・・。
「愚妻って言い方どう思う?」と尋ねてニヤニヤする女性でも”嫁”にはジエスチャー付きの拒否反応を示し、「ワイフと言われたほうがまだマシ」と言う例もあります(笑)

ポール・マッカートニーが東京ドーム公演時に、当時の妻のリンダ・マッカートニーのメンバー紹介の際、「ボク、ノ、カミサーン!」とやったそうな。
教えてもらったのが「オクサ~ン」でなくて良かった!当時は、まだ自分のワイフのことをオクサンとは言わなかったんですね!
オカピー
2020年09月20日 18:42
浅野佑都さん、こんにちは。

>「言葉の意味は変遷するから・・」とか言われそう(笑)

名詞の変化は、多くの場合、文法が他の他の品詞に比べると問題にならないのですが、少なくも封建時代のお話に、喜劇とは雖も、この意味での“嫁”は使ってはいけないでしょう。ナンセンス喜劇なら話は別ですが。

>当時の妻のことは”配偶者”と書いていたのですが、コメントする人からの評判が悪くて‥(笑)

浅野さんの私生活の一部が解りました。
 大して考えた意見とは思わないものの、コメントした人の考えも解らないではない。第三者的ということですね。

>愚妻

と言いつつ、愚妻も家内もフェミニストが嫌がる(後者は封建的な言葉)単語ですから、現在では使いにくいですが、怒らせたい奴には怒らせておけば良い(笑)

>ポール・マッカートニーが東京ドーム公演時に、当時の妻のリンダ・
>マッカートニーのメンバー紹介の際、「ボク、ノ、カミサーン!」
>とやったそうな。

おおっ、そうですか。面白い。

>当時は、まだ自分のワイフのことをオクサンとは言わなかったんですね!

最近は“嫁”が気になっているし、実際に使う人が減ったのかもしれませんが、そう言う旦那衆もいましたわいな(笑)
浅野佑都
2020年09月20日 22:23
 「嫁」という封建的な呼び名は、70年代のウーマンリブ運動で一時的に使う人が少なくなりましたよね!(僕は、田中美津や上野千鶴子といったフェミニズム運動の先駆者が、結果的に、少なからぬ不幸な日本女性たちを生む要因になったと捉えているのですが、この話はまた別の機会に…)

>最近は“嫁”が気になっているし、実際に使う人が減ったのかもしれません

自分の妻のことを人にいう時の「奥さん」派は、今や深く静かに潜航しておりますよ(笑)
ドラマ等のセリフでは当たり前になっているようですし、僕の知人で僕より少し若い大学教員とその同僚たちでさえ、「うちのオクサンの場合は・・」・・とやらかしてくれますから(初めは、学生の手前、ふざけて言ってるのかと思いましたがそういうわけでもない・・)

>そういう旦那衆もいましたわいな(笑)
若い主婦が自分の夫を指して良く使う「旦那」も、フェミニズムの立場からはダメなんでしょうね!
オカピー
2020年09月21日 20:13
浅野佑都さん、こんにちは。

>自分の妻のことを人にいう時の「奥さん」派は、今や深く静かに潜航しておりますよ(笑)

考えてみれば、リタイアして余り同世代以下の旦那衆(笑)と付き合わなくなり、その代わり田舎の爺さん(僕も爺さんですが、はるか上の爺さん)としか話さなくなったので、そういう印象が出来たのかもしれません。

今日見た邦画の実話もの「エリカ38」に、そういう男が出て来たような。他人が言ったのか、正確に憶えていませんが。