映画評「僕たちは希望という名の列車に乗った」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年ドイツ映画 監督ラース・クラウメ
ネタバレあり

昨年から続く香港でのデモを思い起こさざるを得ない。実話もの。

1956年の東ドイツ。高校生テオ(レオナルド・シャイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)が墓参と称して西ベルリンへ行く列車に乗る。勿論事前のチェックがある。実際に墓参した後映画館に入る。これが真の目的だが、その時に、僕らも教科書で習ったハンガリー動乱のニュース映画を観て衝撃を受け、東に戻って来る。
 その後西側の報道を聞くことができるラジオを持っている老人の家で、当時強豪だったハンガリー・サッカー代表チームの英雄が死んだという報道を聞き(後で誤報と判る)、クルトの提案、クラスの多数決で授業の最初の2分間彼を追悼するという大義名分の沈黙で体制的な思想への抵抗を試みる。
 これが当局に知られ、郡学務局の女性(ヨルディス・トリーベル)により調べを受けるうち、ちょっとした告白で老人が逮捕され、クラスで一番社会主義を信奉し沈黙にも賛同しなかったエリック(ヨナス・ダスラー)が、英雄として死んだと思っていた父親の、裏切りにより同士の手により処刑された写真を見せつけられ、クルトの名前を吐くものの、絶望に苛まれた結果、挑発した射撃の教官を撃つという事件を起こす。
 クルトは、市議会議長の息子だった為に既に逮捕されたエリックのせいにして良いという特別の扱いを受けるが、友を裏切れないという思いから西ベルリンへの脱出を図る。

当時はベルリンの壁もなく、年中行事などでチェックが緩む時期があり、比較的容易に脱出できたようである。4人を除くクラスのメンバーが彼に続いて脱出した、という字幕が出て全巻の終り。

亡命者を出すような国は国家として失格と僕は考えるが、香港のケースでも、本作でも、沈着なデモや言論による抗議を認めていれば抵抗運動は激しくならないのに、体制側は “千丈の堤も蟻の穴より崩れる” と思っている為、そうした些細な抗議すら認めず、その結果一部は過激な行動に移り、収拾のつくものも収拾がつかなくなり、それが悪化するスパイラルに入っていく。
 ソ連や中国では王朝を倒した結果左翼全体主義という別の王朝ができ、ファシズム(ナチス)と闘ったと自任する東ドイツは自らファシズム(赤色ファシズム)となった。左右を問わず、ファシズムの国家を指導する人々は、目標達成の名目で結局は自らの権益を守ろうとし、それに逆らおうとする人々を排除しようとする。自由を守ろうとするだけで国家反逆の汚名を着せられる全体主義国家大衆が気の毒でならない。

それはともかく、若者の抵抗精神の扱い方が余りにストレートなのが少し気に入らないが、日本の若者も我が国が隣の大国のようにならないように今からこういう映画を観て、自由主義国家の有難味を知ると良いと思う。
 同時に、実は家族映画の要素もあって、この部分になかなかじーんとさせられる。特に、がちがちの全体主義者と思われた(当時の社会主義体制下ではそうならざるを得ないのが常識だが)クルトの父親には驚かされましたよ。

僕は相当前から、現在は右翼対左翼の対立ではない、全体主義と個人主義(但し後者はイデオロギーではない)の対立と言ってきたが、最近そう主張する識者が増えて来た。先日の東京新聞において中島岳志もコロナ禍をめぐりそれに関連する論旨を書いている。時代がやっと僕に追いついた(笑)。

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