映画評「幸福なラザロ」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2018年イタリア=スイス=フランス=ドイツ合作映画 監督アリーチェ・ロルヴァルケル
ネタバレあり

青春映画の要素に社会派の要素を投入してなかなか興味深い「夏をゆく人々」を作ったイタリアの若手女性監督アリーチェ・ロルヴァケルの新作で、今回は少し難渋。
 1980年代に起きた事件をモチーフにしているということで、映画の最初の時代設定も80年代と思えば良いのだろう。

侯爵夫人(ニコレッタ・ブラスキ)の名の下に賃金もなく働からされる二つの寒村の農民がある。その中でもラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)という少年(二十歳くらい?)は、農民たちからも好きなように使われて文句の一つも言わない。
 強権的な夫人に反抗する為に息子タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)は狂言誘拐を企画して山にこもり、ラザロに協力させようとするが、彼の狙いを百も承知の夫人は動かない。
 一家の右腕の娘が警察に連絡して騒ぎが勃発すると、ラザロは崖から転落し、侯爵夫人一家は小作制度の廃止を知らない農民たちを騙した詐欺で送検され、零落する。

崖から落下したラザロが孤狼に触れられると目を覚まし、崖を登って屋敷に行ってみると廃墟になっている。
 「夏をゆく人々」でもカメラがパンをして元の位置に戻ると時代が現在になっている(と思わせる)手法を幕切れで取っていたロルヴァルケル女史は、ここではラザロが目を覚ますと、20年ほどの時間が経っていることを示す。こういう見せ方が好きなことがよく解るデス。

ラザロが泥棒とは思わず引っ越し業者と信じた相手に言われて町に出てみると、少女だったアントニアがすっかり大人になっていて(アルバ・ロルヴァケル)、家族たちを代表して町に出ては詐欺みたいなことをやっている。
 すっかり零落して中年太りしたタンクレディ(トンマーゾ・ランニョ)とも会い、一家から財産を奪った銀行に談判に行き、強盗と間違われてこてんぱんに殴打される。

寓話の中に現在イタリアの社会問題を沈潜させた内容で、農村の見せ方は前述作同様に最後?のレオ・レアリズモの作者タヴィアーニ兄弟の系譜を継いでいるタッチである。タンクレディは「山猫」でアラン・ドロンが扮した若者の名前で、女史の視点はネオ・レアリズモの作者としてのルキノ・ヴィスコンティにも向いている。
 農民は無知故に小作制度がなくなったことも知らずに騙され、ラザロは愚かしいまでに無垢である。彼は人を決して疑わない聖人で、他の人が悪行に手を染めてもその行為の裏にある行為者の心理を毫も疑わない。決して年を取らないラザロは古い時代の寓意であろう。
 幕切れで象徴である孤狼が彼から去った後ラザロはついぞ動かないが、これは精神的に無垢な社会が物質文明の社会に完全に変わり後戻りできないことのメタファーにちがいない。この辺りはフランスのロベール・ブレッソン風な寓意の表現を想起させる。極端に言えば、侯爵夫人の詐欺も農民にとって自己責任の意識の強い新自由主義からの保護であったのだ。

社会派的な見方では、彼以外の人々が悪に手を染めるのは、人間(じんかん)にあるはずの社会正義が彼等を決して救わないからである。作者は貧困が犯罪を生む社会の構造的な問題を主張しているのであろう。

総合的に、タヴィアーニ兄弟とブレッソンを併せたような作品として相当に興味を喚起するが、独り合点的になりすぎている嫌いは否めない。

一月の段階で複数の銀行から営業の美人たちがやって来た時に”コロナも一過性なら経済はV字回復するが、長引くと構造不況になる”と話した。僕は彼等の話を聞くよりアドヴァイザーだったのだ。どう考えても長引くので、構造不況になるのは決定的でV字回復は無理だ。株価が下がってもめげず、投信で損をしても負けず、コロナにやられても倒れず、そういう者に私はなりたい。

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この記事へのコメント

2020年05月29日 15:30
途中まで、「ヤバい・・。これは、ひょっとしてとんでもない傑作を観ているのか・・」・・という”幸福な”状態でした(笑)
僕には、ラザロが、ドストエフスキー「白痴」のムイシュキン公爵に重なって見えて仕方がなかったですね・・。小説の中で、ヒロインであるナスターシャは、立ち去り際に主人公に声を掛ける。
「さようなら、公爵。初めて(あなたに) "人間" を見ました」
 自らの美貌を金持ちに利用されて散々、酷い目に遭ってきた彼女の目に、無私無欲のムイシュキン公爵は聖者に映ったのですが、聖者ではなく "人間" と表現することで、他の登場人物たちの鬼畜ぶりを浮かび上がらせたのがドストエフスキーの上手いところ。
 
 この映画の登場人物たちも、大人から子供まで、負けず劣らず人でなしっぷり・・。。

それでも、タイトルが原題も「幸福なラザロ」なのは、有り体に言えば、人間の幸福はその人の置かれた状況にではなく、自分自身の心の内にある、からでしょう・・。
人を疑わず、人を恐れなければ、不安もない。
今の時代において、不安と恐怖から解放されること、それは確かに幸福以外の何物でもない。

 ラストシーンも「白痴」と似ています。ムイシュキン公爵は精神病院へ戻されたが、ラザロは、死ぬのではなく,何処かに還って行ったと思えますね・。
浅野佑都
2020年05月29日 15:40
 失礼しました、上記のコメントの浅野です。

漫画原作で子供向けの正視に堪えない日本映画が跋扈する中、この映画は大人の鑑賞に堪えうるなかなかの作品だったと思います・・。
ワーグナーの楽劇「パルジファル」やブレッソンの「バルタザールどこへ行く」にも通じる・・。
 この、やや浮世離れした風な、若き女性監督は間違いなく、ベルトルッチや、僕らが若かりし頃観て感動した「木靴の樹」のオルミの亡き後、イタリア映画界を牽引していく監督になるでしょう。
浅野佑都
2020年05月29日 15:58
 下世話な話題で恐縮ですが、5年間、ちまちまとやってきた虎の子の投信が、今回のコロナで無残な結果となっております(笑)

まあ、売るつもりはないので含み損ですが・・。

ソロスとかウォーレン・バフェットみたいな、ラザロとは対照的な現代の投資家たちも、コロナ不況なんぞは既視感の  ある”想定内”なんでしょうなぁ(笑)
オカピー
2020年05月29日 22:39
浅野佑都さん、こんにちは。

>ラザロが、ドストエフスキー「白痴」のムイシュキン公爵に重なって

これは僕も思いましたが、浅野さんほど詳細に「白痴」を憶えていません。

>「さようなら、公爵。初めて(あなたに) "人間" を見ました」

從って、これも忘れておりましたが、言われて思い出しました。

>幸福はその人の置かれた状況にではなく、自分自身の心の内にある、から

僕もこれは日々の生活で感じておりますし、色々な書物の中でも言及していますね。

>ラザロは、死ぬのではなく,何処かに還って行ったと思えますね・。

ムイシュキン公爵よりラザロは寓意的で、神話的な存在かもしれません。

>この映画は大人の鑑賞に堪えうるなかなかの作品だったと思います・・。
>ワーグナーの楽劇「パルジファル」やブレッソンの
>「バルタザールどこへ行く」にも通じる・・。

ワーグナーは想起しませんでしたが、「バルタザール」はまず第一に思い浮かべました。
 僕はこの女史の作品を見るといつも(と言ってもまだ二作にすぎませんが)、タヴィアーニ兄弟を思い浮かべます。いずれにしても、彼女は、ネオ・レアリズモの系譜を継いでいく作家ですよね。

>投信が、今回のコロナで無残な結果となっております(笑)

僕は長い事やっているので、トータルではプラスです。現在持っているのを売れば全部赤字ですが、一部にプラスが出た時にマイナスのものを売って利益を減らし税対策することを考えていますよ。