映画評「モーガン夫人の秘密」

☆☆☆(6点/10点満点中)
2019年イギリス=アメリカ=ドイツ合作映画 監督ジェームズ・ケント
ネタバレあり

日本劇場未公開作と事前に知っていたが、キーラ・ナイトリーというスター女優の主演する映画ならつまらなくても“まあよろし”というつもりで観てみた。原作は英国の小説家リディアン・ブルック。

ドイツ降伏のおよそ一年半後のハンブルクに、戦後の復興処理の一翼を担う為に英国のモーガン大佐(ジェースン・クラーク)が妻レイチェル(キーラ・ナイトリー)を伴ってやって来る。夫婦は11歳の息子を戦争で失った為に少々不和である。
 裕福な実業家系列のルバート氏(アレクサンダー・スカルスゴード)の家を接収して住み始めるわけだが、彼と14歳くらいの娘グレタ(フローラ・ティーマン)を屋根裏に住まわせた状態なので、ドイツ人に息子を殺されたとの思いが強いレイチェルは面白くない。
 しかし、それは英国人に妻を殺されたルバートも同じ。復興を手伝ってくれる英国人に対し彼は紳士的に振舞うが、娘は気に入らず、戦後処理チームへのテロを考えている若者と親しくなっていく。、
 しかし、お互いの状態を知ったレイチェルとルバートは亡き者を補完するかのように互いを求め合う。少佐は、妻がスイスへの移住を予定している彼の非ナチ証明書を戦友が管理する当局に働きかけていたことから二人の親密な関係に気付く。

映画的にはこの後のヒロインの心的推移がハイライトとなるが、個人的には、終戦後の日本人とは違うドイツ人の連合軍に対する憎悪が興味深かった。敗戦後一年以上経ってかつての敵国の司令部に対してあのように問答無用の態度で激しく憎悪をぶつける庶民は殆どいなかったのではないかと想像される。
 少なくとも小説や映画で描かれてはいない。日本人には同胞を殺された怨み以上に、苦しめられた戦争が終わったという喜びがドイツ人より大きかったのではないか。作家の安岡章太郎は戦後の日本人の変わり身の早さに呆れたと告白する一人だが、そういうこともあったのだろう。

映画は暫く英独人の関係性故の重苦しさを引きずって進む。しかし、丁度半分くらいに差し掛かった時に状況は一変する。夫への不満もあってレイチェルはルバート氏を求めるのである。その少し前にルバート氏が嫌がらせのキスをしたことが引き金になっているのだが、とは言え、彼女のこの唐突な変化が些か解りにくい。拙速と言われても仕方がない感じがする。文脈上は理解できるが、展開のテンポに合わないのである。
 逆に、グレタが憎んでいた英国人のレイチェルに対し、彼女が祖国の作曲家カール・マリア・フォン・ウェーバーのピアノ曲を弾いていた為に親近感を覚えていくところは解りやすく、全てがこの調子ならもっときちんとした心理ドラマになったと思う。
 やや描写が足りない為に幕切れなどは戦後作られたメロドラマに近い印象になった。

緩やかな自粛しかしないのに人口当たりの死者数の少ない日本人(を含めたアジア人か?)の遺伝子を研究するとか。防疫に役立つと良いね。

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この記事へのコメント

浅野佑都
2020年05月25日 12:23
 イギリスの戦争復興期を描いた映画はけっこう観ていますが、第二次大戦直後のドイツの状況を知りうる貴重な作品と、途中まで(戦記物好きなので)目を輝かせながら鑑賞していたのですが・・。
途中から、ハーレクインロマンス風(笑)に・・。

せっかく、戦勝国と敗戦国の夫々の立場の人間の複雑な感情の鬩ぎあいを、過不足なく表現できる主役三人の役者を得ながらも、僕の中では消化不良でした・・・。

>(日本には)あのように問答無用の態度で激しく憎悪をぶつける庶民は殆どいなかった

終戦わずか半月後の9月に、厚木にマッカーサーが降り立った際、日本は武装解除されていましたが、当時の、彼への民衆の歓迎ぶりを見れば、そんなことしなくても日本人によるテロなどはなかったと思います・・。
なにしろ、マッカーサーと結婚したいという日本女性のラヴレターが、彼の宿舎である横浜のグランドホテルに山積みされたそうですから・・。

>戦争が終わったという喜びがドイツ人より大きかった

これはそうだと思います・・。
安岡の見方はいかにも小説家らしい皮肉なものですが、日本人とて憎しみはあるのは変わらない・・。
でも、それを忘れるのではなく水に流せるのが、良いところなのでは?
理由としては、日本が古代の国家建設以来、一度も他国の侵略を受けていないという特殊性もあるかと・・。

例えば、酒鬼薔薇事件で少年に子供を殺された父親は、犯人を憎むというより、人間として向き合うことが(死者への)供養になる、と考えている節がありますね。
もっとも、最近は、殺人罪には問答無用で死刑を!という意見が多くなっているみたいですが・・。

韓国人の「恨ハン」が複雑なのは、長年の他民族による支配を脱することができなかった恨み、悲しみ、虚しさが歴史的に記憶され、敗戦により立場の弱くなった日本に向くと同時に(80年代まで軍事政権を手放さなかった)韓国の支配者層にも向けられている。

僕が、韓国人の心に染み付いた「恨」の感情を理解するとすれば、韓国映画に付き物のバランス無視の喜劇タッチもなんとなくそこから来ているのではないかと思えます‥。
政治を笑い、日本を笑い、自分たちの姿にも苦笑いをする彼らの生き方から・・。
オカピー
2020年05月25日 20:27
浅野佑都さん、こんにちは。

>途中から、ハーレクインロマンス風(笑)に・・。
>僕の中では消化不良でした・・・。

ロマンスでも、もう少し心理がきめ細かく描かれていれば、恋愛心理映画として楽しめたと思いますが、前半に比べ面白味が足りなくなりましたね。

>マッカーサーと結婚したいという日本女性のラヴレター

終戦直後の日本を収めたフィルムを見ますと、時々“マッカーサー歓迎”みたいな文字が町に躍っているのにも出くわしますよね。

>酒鬼薔薇事件
>人間として向き合うことが(死者への)供養になる

何日か前に新聞で、別の事件でも親族が同じようなことを述べているのを読みましたよ。

>殺人罪には問答無用で死刑を!という意見が多くなっているみたいですが

裁判員制度になってその傾向が強まったようですね。個人的には、遺族感情を考えると、死刑もやむなしとは思いますが、僕はオウムに関して麻原以外は死刑は可哀想でならなかったですよ。こういう犯罪は個人的なものに比べて単純ではないですね。
 死刑廃止で確実に良いのは、死刑になりたくて人を殺す人がなくなること。

>韓国人の「恨ハン」が複雑なのは、長年の他民族による支配を脱する
>ことができなかった恨み、悲しみ、虚しさが歴史的に記憶され・・・
>心に染み付いた「恨」の感情を理解するとすれば、韓国映画に付き物の
>バランス無視の喜劇タッチもなんとなくそこから来ているのではないか

なるほど。日本の保守にはその辺りに気に入らないのでしょうが、被害者の意識としてはそんなものでしょう。日本人が特殊すぎるように思います。
 映画としては、シリアスなもののな中における喜劇タッチも良いですが、それなら最後まで一貫させないと映画的にはダメですね。アリストテレスに拘りすぎだと言われるかもしれませんが、演劇・映画評論においてずっと言い続けられて来たことですから。